今議会は答弁訂正が多かったねえ~。と。

 

 先々週の金曜日の夜の部の話題でした。一番ひどいのは○○○ですよ。って言われたってねえ~。

 

 「広場」を変な発音で原稿を読んだ。と。それは俺に言われても...。

 

 というより、今日もそうでしたし、一昨日もそうですが、議会関係者とたまたま別件で話した時に「長谷川さんがいなくなって緩んでいる」くらいのことをいうのですが、それは俺ではなく、議会の問題よ~。と。

 

 でも、まあ、その関係者が言ってましたが、普通は、固有名詞の方がいなくなってもまた別の固有名詞が出てくるから大丈夫。が、いままでの議会。うるさ型がいなくなっても別のうるさ型が出てくるからということでした。

 

 でも私は無理だろうなと思うのが、「うるさくいう者」が異端であるという雰囲気づくりが進んだ船橋市議会では、無理かもしれません。

 

 議会とは?執行機関とは?議案とは?をしっかりと理解していて、議決とは?がわかっていれば、議会での答弁を訂正するようなことは存在し得ないものです。

 

 もともと答弁を間違えるということは「存在しない。」前提でルールブックが出来上がっていますから、もうある意味、末期的と言っても過言ではありません。

 

 だいたい、答弁書を答弁者自らが書かないというのはふざけた話です。否、百歩譲って書かなくてもいいでしょう。でも書いてもらったものでも、一言一句チェックを入れて、自分なりに責任を負うのですから、その一言一句が理解できていなければ当然ですが、自分で口から言葉を発することなどできません。

 

 とはいえ、前述の「議会での発言」がどういうものかわかっていなければ、そこに緊張感が生まれるはずもありません。

 

 従って、ただ聞かれたことを、部下が書いた原稿を読んで、ただひたすら時間をやり過ごしさえすればいいんだという意識になれば、原稿を読む練習もしなければ、間違えても「すみません、間違えましたお詫びして訂正いたします。」とさえ言えばいいんだという姿勢が見え隠れしますよね。

 

 さらに話を戻しますが、原理原則を言っても、というより原理原則を教えてあげて、それを理解した上で何かを言うのであったら何も申し上げることはないのでしょうが、原理原則を理解しない中で、自分の考え方だけを通そうとするのはあまりにも幼稚な行動であって、繰り返しになりますが、ルールなしで試合をするような感じで、草野球より酷い話です。

 

 議会にそういう議員がいる限り、前に進むのは大変でしょう。