小泉進次郎議員の発言の新聞記事です。

 「丸山氏の言動はかばえるものは何もないが、議員の出処進退は議員が判断すべきだ」

 

 「選挙で丸山氏の名前を書いた人は大勢いる。そういう人を国会が裁くというのは今回の問題の解決としては違うのではないか。議員の任期中の政治活動が判断されるのは、まさに選挙だ」

 

 で、これをジャーナリストの加藤清隆氏が擁護していますし、丸山議員を総体的には擁護しています。

 

 私は加藤清隆氏は、

 文化人放送局(左をクリックしてください。)

 での番組が好きでいつも見ていますし、話、思考、思想が好きなんです。しかし、この部分だけはいただけない感じです。

 

 以下が加藤氏のTwitterでの発言です。

 

 「小泉進次郎議員が丸山穂高議員に対する糾弾決議を退席。その理由は「言動はかばえるものは何もないが、議員の出処進退は議員が判断すべき」「選挙で丸山氏の名前を書いた人は大勢いる。そういう人を国会が裁くことは今回の問題の解決としては違う」。全くその通り。進次郎、たまにはいいこと言う。」

 

 「丸山穂高議員に対する糾弾決議は行き過ぎではないか。確かに北方視察の際の酔っての不品行は問題かも知れないが、本人も何度も謝っているし、厳重注意レベルのことではないか。まして議員の身分は法律で守られている。出処進退は本人が判断することであり、最終的には選挙で決すべきものだ。」

 

 私は、今回の衆議院の決議は、

 「よって本院は、ここに丸山君を糾弾し、ただちに、自ら進退について判断するよう促すものである。

 右決議する。」

 

 で、ちゃんと「自ら進退について判断するよう促すものである。」としているように、「自らの判断」を促しているのであって、「院」としては最後通牒(最後通告)だよという意味合いでしょう。だからこそ全会一致を与野党とともに目指したのだと思います。

 

 最初は与野党それぞれがパフォーマンスの体でしたからね。最初は。

 

 出処進退のことなど百も承知の議員さんたちです。しかし、これおかしいぞ?通常の、政治の世界の常識では通じない感じの相手のようだぞ。ということが時間の経過とともに「院全体」にじわじわと広がってきたんですね。

 

 このことにこだわるのは、実は私の「議会新人類」に関する悩み。です。

 

 過去のブログ「議会新人類」(左をクリックしてください。)

 

 にも書いたのですが、従来の議会のあり方を真っ向から、理由もわからず、否定をする「議員」が増えています。

 

 新人類が否定をする先輩たちの慣例慣習から始まり、旧来の自民党政治も含め、いわゆる「55年体制」の功罪を理解するわけでもなく、新聞をはじめとするメディア情報を信じ込み、「それではダメなんだ。」という思想です。

 

 じゃあ、あなたはその中に入って、実際に見て、聞いてダメだと判断したのですか?

 

 事実をしっかり見極めたのですか?ということなんですね。

 

 私は社会人一年生から、ずっと上司に、「事実に基づいた考え、意見を述べよ。」「人の話を鵜呑みにするのではない。」ということを繰り返し繰り返し言われ続けました。

 

 そこの「事実」とは、自らの「経験」であり「体験」を言います。

 

 以前、この丸山議員のことを書いた時、佐藤優氏や鈴木宗男先生の言葉を引用させていただきました。両先生の言葉は、「小頭が良くて地頭が悪い」「勉強したけど頭が悪い」でした。

 

 私は、この「小頭が良い」とか「勉強したけど」の意味合いは、教科書や本を読むことはして、机に向かって勉強をした結果としての「成績」は優秀だけど、そこには経験が伴ってないから、「地頭が悪い」し、「頭が悪い」と言われるのだと思います。

 

 机に向かって勉強したことを、経験に基づいて応用させる力が無いと言うことだと思います。

 

 身近にもそういう議員がいますが、彼らは「机に向かって勉強したこと」を優先せざるを得ない経験しかありませんから、どうしても新聞、雑誌、新書、文庫本、教科書、先生の話、先輩の話、評論家の話などなど、テレビやラジオの無責任な上っ面だけの情報で、自らの判断をしちゃう新人類。

 

 私は、少なくとも議員になって自分で見聞きをしながら経験して初めて、政治を論じるようにしましたが、まったく別物の議員が数多くいるのです。

 

 先輩の話も、ほぼほとんどが自慢話ですから、盛って盛って盛りまくる話です。だからこそ冷静に裏取りをするのです。現役先輩の話は、そこかしこに実態を知る人がたくさんいます。その多くの方々から同じ事項について聞き取ると全体像が見えてきてどういう思想で政治に関わっているのかという、その話をした方々の意識も見えながら、一つに事象をかなりの確度で頭に留めることができます。

 

 それを一つの経験則として、やがて利用する時がくるわけです。

 

 ところが、右も左も分からない程度の経験しか無い「政治子供」が権利の主張などした日には「先輩」は頭越しに叱るに決まっているわけです。それを受け止めることもできないほど、無知無策でありかつ幼稚な政治家が育つ土壌となってきているように思います。