さて、住まいのホテルでも事務所でも日本に電話をかけるという行為は、一日がかりの仕事でした。

 

 この交換手を介しての電話というのは、お分かりだと思いますが、全ての通話は交換手が聞くことができます。で、ホテルになりますと、ホテルの交換手、市内電話局の交換手、長距離電話局の交換手、国際電話局の交換手と何者通話って感じなのです。

 

 ただし私はこの頃、日本語理解できるの?っていつも不思議に思っていました。また、カウンターパートには日本語を理解するヤツが喋れないふりをして紛れ込んでいるとも言っていました。(笑)。実際どうだったのでしょうかね(笑)。

 

 とは言え、これたぶん読者の方々は笑われるかと思いますが、明らかに聞いているじゃん。っていう物音とかね、思い当たるものがたくさんありました。

 

 それがイコール盗聴じゃない?って感じだったのですが、自分のホテル開業時に思い知ることになるのです。

 

 日本からNEC社製の電子電話交換機を持ち込みました。そして、ホテルの客室の番号の割り当てとかを担当したのですが、さあ、その使用許可にどういう条件がついたかです。

 

 公安局の回線を繋ぎなさい。ということが許可条件でした。

 

 そもそも、そういう法律や許可条件があるかどうかも確認をしても「国家の秘密です。」から、当時は確認をする術もなかったのです。それでも契約交渉をしながら契約をし、設計をし、建築をし、開業したのはある意味驚異的でした(笑)。

 

 それ以前に、そもそもの契約交渉時の様々な話の中で酷いなあと思ったのは、こちらサイドのノウハウ、考え方はどんどん喋らせながら、FS(feasibility study)(可行性計画書と当時言ってました)を策定するにあたって、何でもかんでも、「それは国家の秘密です。」って壊れたテープレコーダーみたいに繰り返し言われたのは辟易しましたね。

 

 自分たちのデータは出さない。データって言ったって、平均的な人件費だとか、水光熱費だとかインフラ整備が整っていないゆえの、基本的原価計算をどうすべきかなどということをすべて「国家の秘密」にされちゃって、こっちの情報はどんどん出させる。まあすごいですよ。

 

 で、その時に感じたのがとにかく、国に忠誠を誓っている当時のスタッフはとにかくありとあらゆる情報を集めることに必死であり、そのことに腐心していたと言っても過言ではありません。

 

 当時は確かに日本から中国へ物を輸出する際には、COCOM(対共産圏輸出統制委員会)の規制というものがあって、日本からの様々な物資の持ち出しは、当時の通商産業省へお伺いを立てたりしてやっていた記憶があります。

 

 我が社の通訳をやってくださっていた方は日商岩井の中国担当だった方なので、その辺は詳しい方で大変良い勉強になりました。

 

 前回「官僚主義」と書きましたが、まさに最初の中国訪問時に、上海の空港税関で、その方が中国語で猛烈に抗議をしていて、その内容を後から聞いたら、「官僚主義でどうしようもない。」と怒り狂っておりました。

 

 まあ、当時はまだ資本主義なんて全く理解されない悪魔の生き方で、共産主義こそが、最も優れた国家運営の基本であるという感じでした。

 

 企業も含めありとあらゆる職場に、「共産党委員会」があり、組織の責任者よりも党委員会の方が格上だったような記憶があります。

 

 で彼らの基本的考え方は、金儲けをさせてあげるのだから、その技術やノウハウを提供するのは当たり前ということで、何でも先進技術は求めていましたね。ありとあらゆるもののノウハウであり、科学技術もなにもかもです。本当に。

 

 ですから、米国が怒っているのもわかるのですが、今まで放置しちゃったのが失敗だったんですよね。たぶん。その間に中国は貪欲に国家のためにありとあらゆる技術を吸収して来たし、取り込む努力は並大抵ではありません。