船橋市にもHUAWEIの拠点がありますから、少々注目しています。

 

 さて、テレビをはじめとして各種メディアで米中経済摩擦についての報道が連日行われています。

 

 1985年頃まで遡って私の経験から、中国人の、あるいは中国という国家の経済に関する意識や、なんというのでしょうか?一種独特とも思える考え方を書かせていただきましょう。

 

 私は、当時、西側的ホテル?あるいは先進欧米諸国のようなホテルを作り、運営をする。という仕事で2年半ほど駐在したのですが、それ以前から、カウンターパートの訪日から関わっておりました。

 

 なんで、こんなことをブログに書くかと申しますと、今朝のテレビで詳しく取り上げていたからです。それは、当時のあの国のビジネスの意識と寸分違わないなと感じたからです。

 

 まず、私が駐在していた頃の笑い話みたいなものですが、いくつもあります。出張ベースで現地へ行っていた時、ホテルの部屋には盗聴器が仕掛けられていると、我々はみんな聞かされていましたが、真偽のほどはわかりません。(笑)。電話も全て盗聴されていると言われていました。

 

 電話の当時の仕組みを書かせていただきます。私たち日本人スタッフには、中国側の通訳の言葉でいうと、市内電話局、長距離電話局、国際電話局の3つの電話局があるということでした。ちなみに、私が住んでいたのは、中華人民共和国陝西省西安市です。

 

 市内の電話を取り扱う市内電話局と国内各地を結ぶ長距離電話局というのがありました。私は総務担当でしたから、何もない更地の広大な敷地に現場事務所を設置することから仕事は始まったのです。電気技術者の中国人と相談をしながら電話を事務所に引くことが最初の仕事です。僕は日本語で電話の電ちゃんって呼んでいた技術者が最初に僕に話を持ってきたのは、電話を引くための手順の説明からでした。

 

 電話を引くには、電話局に申し込むのですが、簡単ではありません。まだ、日本のように一般の家庭に電話が普及していないのが中国の実態でしたから。

 

 

 経済発展をし始めていましたから、電話設置の申し込みは多数あり、回線数などと敷設などの整備状況との追いかけっこ状態でしたから、大変です。そして官僚主義というか、まあ基本は国民全員が公務員の国だったわけですが、国営企業や地方公共団体や、その業務の内容や状態で圧倒的な見えない暗黙の「階級制度」が厳格にありました。従って、私たちのカウンターパートである「西安市文物園林管理局」は、基本は「市」管理の歴史的建造物や遺跡、公園、緑地の「管理部門」でして、いわゆる現場仕事がメインですから、それがいきなり外国人とホテル作る仕事しろって言われてもねえ~って感じのメンバーでした。写真があれ良いのですが、手元にないのでお見せできませんが、電ちゃんは、小柄で日焼けした顔に無精髭で丸メガネのタバコ好きのおっさんでした。

 

 その彼が私に言ってきたのは「長谷川、市内電話局と長距離電話局の担当者と飯を食いながら相談をするから一緒に来てくれ」という話です。当時はまだ日本人スタッフは4人です。その4人と電ちゃんとあと数人いたでしょうか。と先方です。

 

 で、電ちゃんが外国のタバコが欲しいと。

 

 なんだろうというと、中国では宴会の席上でタバコを勧めるのが接待マナーだということなのです。外国人が接待するのだからなるべく外国タバコを。そしてできればお土産に。と。たしか、その前にその宴会のセットの事前の話しに行く時もタバコを持って行くような話があった記憶があります。

 

 確かに、当時の中国では相手方を訪ねると、ほぼ個室で仕事をしており、部屋に入って、デスクの脇にちょこんと座って話をするというのがスタイルでした。その際、自分の持ってるタバコを勧めながら話に入って行きます。

 

 なので、ビジネスマナーとして必要なものではあったのです。

 

 さて、そして、ご接待。(笑)。我々外国人が行くようなレストランではなくローカルだった記憶があります。で、わけもわからないまま、日本人の所長がまあよろしくお願いします。って言って、宴会で盛り上がった感じです。当時は、だと思いますが、一度会って、宴会をしたら「朋友」で、その後も会ったらもう「老朋友」だと。もう大親友だよ~みたいなノリでした。

 

 で、順調にその後、市内電話が入り、長距離電話の手続きも終え、めでたく北京の国際電話局経由で日本へ電話をかけられるようになりました。当時はそれに加えて、Telexを設置しました。

 

 テレックス(英: Telex、Teletype exchange service)は、テレタイプ端末を使用した通信方式であり、電話のように通信相手の端末を指定できる1930年代に確立し、2000年代前半頃まで商業通信手段として用いられた。標準的なテレタイプは専用回線(又は特定回線)による特定地点間の通信であるが、テレックスは選択信号により通信相手を通信の都度に指定することができた。

 

 

 

 なぜ、こんな書き方をするかというと、電話はアナログで電話局の交換台(交換手)経由で「申し込み制」で、経済発展とインフラ整備のアンバランスによって、大変だったのです。

 

 まずは、市内電話局交換台に北京への長距離電話回線を使用する申し込みをする。回線が空いたら繋いでもらえますが、それもたぶん重要な部署順だったと思うのです。従って、当時少なかった民間企業なんて後の後。なのは当然です。

 

 その後、北京の国際電話局に日本への電話を申し込むのです。従ってビジネスアワーの最後の方に電話が通じるのがやっとというのが実態でした。

 

 そこで、テレックスだけは、オンラインで直通のような使い方ができたのです。しかし、それは双方向ではなく、一方通行でしかもアルファベットと記号だけ。なので、いわゆるローマ字日本語で日本へ連絡をするということをしておりました。

 

 さて、前に話が進まないで長々となってしまいました。いったん終わらせて続きを書かせていただきます。