昨日は、地元の幼稚園の卒園式でした。自分の学校の卒業式もありましたが、幼稚園を優先しました。結構苦渋の選択って感じでした。

 

 学校のFBには、私以外の全員が記念撮影を。あ~らら。って感じですが致し方ありません。

 

 自分も、娘も息子も卒園をした思い入れのある幼稚園。評議員を務めており、私の政治活動の原点みたいな幼稚園です。

 

 毎度のことながら、子供の可能性は無限大だという、川畑賢一先生の言葉を毎回思い出しながら子供達の姿を見ています。

 

 また、この幼稚園の亡くなった理事長の言葉も思い出されます。

 

 子供をカメラのレンズ(フィルター)を通さず見つめて欲しいんですよ。最近の保護者は撮影に必死で...。直接子供を見て欲しい。

 

 と。重みのある言葉なんですよね。記録を残すことも大事だけど、入園も卒園も運動会のその瞬間瞬間は二度と戻らないのですから直接見て、感じて、欲しいんだと。

 

 それ以外にも日常の生活でも、自分の子供をしっかりと信じて、外部からの情報を基にしたフィルターとしての基準で比較するなというような、いろいろな意味のフィルター論でした。これと川畑先生の、子供の可能性は無限大だ。を組み合わせると偉大な言葉になると思うんですよね。

 

 さてそれはさておき、今日は幼稚園の卒園式の後に甲府へ向かいまして事務室で学位記をいただいてきました。ここに学位記の画像を載せるのがまあ、やり方なのかしれませんが、学位が欲しくて通ったのではないので、成績表をお見せしましょう。

 

 

 ご覧いただいておわかりいただけるように、結構面白いっていうか全てが実践に役立つって感じで、そこに江藤俊昭先生がいてという感じで、全体的に楽しい2年間でした。

 

 しかし、レポートがダメだったんでしょうね。明らかにうまく書けなかった、政策法務と社会保障法でした。でも政策法務はおもしろかったので、何か時間を作って再度勉強したいですね。Ⅱしかとれなかったのは、Ⅰが通えない日だったのです。残念です。

 

 で、話はまた飛びますが、まあ、卒園式の後の卒業式の終わった大学へ行くことだったのですが、今回は大学院ですが、はるか35年近く前の大学の時も卒業式の時に単位が一部未認定で友人とともにもらえず、別の日に取りに行った記憶が蘇ったり、当時聞いていた曲をかけながらの走行で色々なことが運転中に走馬灯のように頭の中をぐるぐるぐるぐるでした。

 

 さらに、先日大学時代の親しかった方からFBでメッセージをいただき、あの頃に戻りたい気持ちでいっぱいになりながら、なんともいろいろとセンチメンタルな気分になってしまいました。

 

 それから、議会での質問のことなどを考えながら、内容に絶望的な気持ちになると、なぜか、亡くなった職員のことを思い出し、彼だったら今の船橋市の状況をなんて言うんだろうとか、どういう議会質問を進言されるだろうかなど思いめぐらしながら、運転をしていました。たまらなく切なくなりながら、私が議長の時の議事課長のことを思い出してさらに切なくなり、なんとも言えない気分でした。

 

 会いたい(沢田知可子)、すずめの涙(桂 銀淑)、木蘭の涙~ACOUSTIC~(スターダスト・レビュー)、糸(中島みゆき)、雪の華(中島 美嘉)、手紙~拝啓十五の君へ~合唱バージョン(アンジェラ・アキ)などを聞いていたんですよねえ~。