さて、今回、私は船橋市立船橋高等学校の将来を考えるシリーズを書いております。

 

 今回は、「船橋市学校百年史」から関係部分の引用です。

 

 この本は、市内の学校の歴史を年表形式で記述して、部分的にトッピクスが書かれています。その抜粋引用です。

 

 昭和32年4月5日仮校舎完成(総額3,143,000円)

当初は宮本中学校の講堂を借り、そこを4教室に仕切って使用する計画であったが、当時の船橋中学校長松井和夫氏・教頭渡辺朝日氏による提案は,県立船橋高校生と市立船橋高校生のそれぞれの特色につき配慮すべきであるとし、高木市長・宮本中学校長渋谷敬敏氏の絶大な支持を得て、船橋中学校に仮校舎を建設する運びとなった。

 

 昭和35年2月10日 校歌制定発表会(於 船橋市中央公民館)

 高木市長は、「本校創立の趣旨は、将来の船橋中堅市民として、しっかりした生活態度を持つ人材を育成してもらおうということに主眼を置いている。」と述べ、吉井校長は「もののなくならない学校にしよう」と述べた。

 

 –移転当時の回想–

 新校舎に移ってからは毎日各クラス交替で整地作業、玄関前の2mほどの小山をくずして凹地を理める。くる日もくる日も土運び。また校舎内も徹底的に洗った。寒い頃だった。号令をかけて、はだしで………。

(10周年記念誌-αのもとに-)

 

 昭和35年3月23日 第1回卒業証書授与式 

生徒諸君の生活態度にも、われわれの誇りとして自負すべきものがある。非行の絶無なること、素直なること等、誠実奉仕の校風を着々と盛り上げて、楽しい明るい学園の建設へと進んでいる。正に新学園建設の開拓者としての役割を、生徒諸君はよく果たしてくれつつあると思う……。

           (吉井正男校長:市立船橋高校新聞第3号)

 

 昭和36年11月24日 教育委員会において37年度より普通科2学級増置を決定

 世にいうベビーブームの波である。生活水準の向上に伴って高校進学率も高まった。船橋市内中学校卒業者中、36年度の高校進学者数が約1000名であったのに対し、37年度約1500名、38年度約2000名、39年度約1900名と急増した。

 

 昭和40年3月24日

 時に3階の方から、時に校庭の方から、近頃妙な音が闘こえてきませんか。これはブラスバンドが練習をしているのです。長い間待ち望まれたブラスバンドがやっとでき、放課後熱心に練習しているのです。

 さて、妙な音と書き出しましたが、最近ではミョウでなく、タエなる音になってきたようで「河は呼んでいる」などは軽く仕上げたということです。早くいろいろな方面で活躍されることを期待しましょう。

                   (市立前高新聞16号)

 

 昭和42年3月7日

 宇津木前校長の希望で、体育館から柔剣道場を分離することになり、PTAの協力を得て、第1期工事は3月に完成、17日より使用開始。第2期工事は設計を変更して、1階を作法室および体育準備室とした。

 

 平成42年11月7日 創立10周年記念式典

 10周年と申せば、人間、人生にとりましては、まさに青年期に入ろうとする時であります。人生を右するか左するかは、青年期のあり方によって決まると申しますが、本校も人間に例えれば、まさしくその年令なのであります。校運を左右する営みは、かかって私どもと生徒諸君の双肩にある、と、いわなければなりはせん。青年期に入ろうとする本校は、今日まで築かれた高い教育目標に対する実践の努力をいよいよ積み重ねていくとともに、よき船橋市民としての実力を、この中から養いとっていかなければならないと思うのであります。

       (創立10周年記念式典式辞より 校長・新谷敏夫)

 

 昭和43年10月10日 第1回α祭開かれる

 今年から文化祭、体育祭が一緒に行なわれアルファー祭となった。運動系クラブ員や文化系クラブ員が、遅くまでその準備にとりかかっているのに、どのクラブにも所属していない人たちは、準備などどこ吹く風で、早く帰ってしまったのが去年までの状況だったが、今年からは、これらの人たちが体育部の入退場門をつくるなど、生徒全員がアルファー祭に参加できた。こうしたことは去年までには見受けられなかった現象でたいへんよかったと思う。            (市立船高新聞30号)

 

 昭和44年1月24日

 はじめての試みであるが、午前中は、全校クラス毎のレクリエーション、午後はマラソン大会という趣向で、小春日和の1日を、広々とした芝生の上で飛びまわるのは、何ともいえない爽快さである。

 

 昭和44年9月6日

 学生運動がいちだんと活発となり、高校生の政治運動が目立ってきた。学校封鎖があちこちで行なわれ、職員会議でも熱っぽい討論が繰り返された。そういう中で、女子剣退部の活躍が目を見張らせた。