さて、今回から、私は船橋市立船橋高等学校の将来を考えるシリーズを書いております。

 

 前回に引き続き第2回目も、「船橋市新教育十年の歩み」から関係部分の引用です。

 

 まず、次の母の手記は、前回の記述のページ欄外に囲み記事のような形で記述がありました。

 

 従って、前回の続きは「また教師の~」からです。とりあえず関係する文献をどんどん掲載して行こうかと思います。

 

母の手記

A 高校教育は普通教育だからぜひ高校だけは進学させたい。私たちの中学校時代の思い出は楽しいことばかりであったが、今の生徒は入学と同時に親も子も進学という難関にぶつかって頭を痛めている。急に心も体も発達したわが子を見る時うれしいが、これからが大変だと重荷をひしひしと感じ何時の間にか神経賀になってしまう。

 

B 勉強しなさい強勉しなさいという言葉が口ぐせになってしまって、少年の頃の楽しさなどを考えさせることもありません。夜おそくまで机にかじりついている子を見ると涙ぐましくなってしまいます。弟や妹にも大きな声を出さないように心づかいをしなければならず聞きたいラジオの番組もまったくといってよいほどかけられません。

 

 また教師の立場と苦悩はつぎの教師の手記の一例によって伺い知ることができる。

 

 一方では道徳教育を重視し、友情や公徳心を説きながら、一方では逆の方向に追いやる教師の半狂人的な指導を素直に受け取って教師を慕って来る生徒を思うにつけ、何か自責の念にかられら。

 

 子どもの能力を無視した学校選択をしてきて困惑する。親の虚栄できめるのか子どもの能力できめるのか反問したくたる。

 

 競争のはげしさから入学できそうな学校を選ばなくてはならなくなり、工業コースの子どもに競争率の少ない普通高校を受験させることとなり、希望に合致しないものとなってかわいそうであると同時に罪悪惑まで惑ずる。

 

 積極的な性格より受動的な生徒を作りあげてゆくような気がして、将来を考えるとおそろしくなる。

 

中学校長会の動き

 かかる父兄層の動きと学校側の悩みの中に、高等学校進学者数は逐年増加し、入学難はますます激化する現状である。いかに生徒の進学指導をなすかの問題は、中学校経営の重大ポイントとなった。しかも高等学校側の施設は志望数に追いつけず、高校へは入学させねばならぬし、ここに「正常な中学校教育を進める」ために、校内では経営体制の確立を再吟味することと同時に、高等学校施設の拡充を期せねばならぬという結論に達した。

 

 船橋市進路対策協議会の結成

 

 昭和二十九年五月、船橋小学校で第一回の会合を開催した。都内高等学校進学問題が中心となり、西部地区一連の活動に刺激され、地区としてより教育的な見地から、つぎの三つの目標を求めて発足した。①都内高校進学対策 ②地元高校の拡充 ③就職生徒の指導、会長中務繁を中心に各地区中学校長及びPTA代表を交えて、本市としてこの面の基礎の確立と活動の強化をはからんとした。ことに地元高校を立派にし。高校教育を都内に依存せす「地元は地元での」という立場を強化した。

 

 3、県立高等学校設立運動

 ①都内高校入学締め出し ②地元船橋高校の収容能力の超過 ③十二万人口をもつ船橋市に、公立高校がわずかに1つという高校教育施設の貧困。このような理由から、高校新設の世論は昭和二十六年頃から有識者間にはあったが、実際運動が具体化されようとしたのは、三十年九月市内中学校長会を基礎としてであった。もちろん市進路対策協議会とも手をつなぎ合い、市長・市議会・地元選出県会議員にと主旨を説明して賛同を得、協力方を懇願した。同時に知事、・県教委・県議会議長・県議会文教委員長宛に何回となく陳情がくり返された。その回答は、「全県的問題であるので、各地区の実状を調査して考慮しよう」という知事談、「世論を喚起してほしい。現実問題としては不可能なことである」という教育長談であった。そこで世論喚起のために本腰を入れて、各方面を歴訪した。すなわち松井和夫(船橋中)渋谷敬敏(宮本中)斎藤二郎(海神中)村田裕(葛飾中)真行寺清(二宮中)柿沼見政(御滝中)大塚義治(豊富中)斎藤憲(法田中)八名の中学校長は、一糸乱れず団結し、時には朝早くから、時には寒い夜にかけて教育委員、県会議員の訪問、理事者との懇談を続け、ひたすら市内中学生の幸福のため、中学校十周年の記念事業の1つとして、高校建設をなし遂げたいと念願した。

 

 また高木市長はこの問題には最も熱心な一人で、計画実現に先頭に立って努力した。市議会も峯川議長を中心として仝面的にとり組み、協力を借しまなかった。しかし結果としては、①県は地方財政再建整備計画(地財法適用)を実施しているので、新規事業である高校新設ははなはだ困難である。②しかし市川船橋の西部沿線地区に、高校の設立の必要性は十分にあるという結論を得たに過ぎなかった。

 

 現状維持では入学緩和はできないので、県教育委員会は世論に対して、三十年二月に船橋高校は本年度に限り、入学生徒数の臨時措置を認めるというラインを出した。ここに地元船橋高校に八〇名(二学級)増の措置がとられ、父兄は幾分の安心感を得たのである。その蔭に地元に住む県教育委員山口久太の努力は相当なものでありった。なお現船橋高校長内田篤夫が施設も教職員も現状のままという条件で、八〇名増を認めた恩情は、特筆すべきことであった。

 

 しかし入学緩和の問題は本地域において依然として解消されず、三十一年にはこの問題を解決すべく運動はますますはげしくなった。市長は年度当初の市政執行方針と予算案の説明において、この問題にふれ、「近時高等学校入学志願者が急激に増加し、県立船橋第二高等学校の設置の要望大なるものがありますので、県教育委員会、県知事と折衝し、これが実現を期さんとしております」と決意を表明した。」    

 

 4、市立高校設立の具体化

 県立高校設立は、地財法を適用している本県では財政上不可能なことが明確となり、県立高校設立運動は市立高校設置へと一大転回した。県財政でさえ不可能な高校を、貧弱な市財政で行おうというのであるから重大問題となった。

 

 市連合PTA会長中務繋がPTAを代表して、市及び教育委員会へ要望書を提出、各中学校PTAが総けっきして、是非この入学難を緩和するためにと理事会の開催を行ったり、総会をもったりなど猛運動を続けた。小中学校長会は、これまた正常な中学校教育が歪曲されないように、市立高校の必要性をさけび、関係当局へ陳情を続けた。

 

 ―高等学校新設陳情書全文―

 教育建設五ヵ年計画の実施その他施設面の充実により、着々本市教育の伸展を見つつあることは教育委員会の御努力のたまものと一重に感謝にたえないところであります。しかるところここ数年来高校進学生徒の激増、東京都内進学の締め出しによる入学困難はいよいよはなはだしく正常なる中学校教育は歪曲されつつある現状であります。昨年来高校新設の世論父兄間より起り関係方面へ陳情を展開いたしましたが県予算の関係よりわずかに船高に三十年度に限り二学級増を見たにすざない状況であります。          ’1

 

  思うに本年度は市内中学校高校進学希望考九五〇名内外を予想され、昨年に比較して、そう入学競争の激甚さを加える状況と思われます。従って希望を達せられない生徒の多数出現することのみならず、一そう正常な中学教育がゆがめられる状態になることを予想されます。

 

 しかるに本市においては県立高校一枚であり、他市に比べてはなはだしく少なく全国平均人ロ五、六万に対して一校更に一校増設の必要ありと痛感致します。

 

 この窮状を御了察いただき、是非とも高校新設の実現致しますよう御善処方陳情いたす次第であります。             (原文のまま)

 

 こうして昭和三十一年市会全員協議会において、小中学校建設五ヵ年計画(一八七頁参照)に支障を与えないという条件で承認を得、更に同年十一月の市会で市立高校設置が可決され、いよいよ設置準備の計画が具体化された。さっそく生徒募集にも着手し、三十二年二月には普通過程・商業課程各一〇〇名の入学候補者を選考した。校舎建築については、鉄材の急騰と校地完全買収に難点があって、延期され、止むなく一時船橋中学校に仮校舎を建てて、四月九日に開校することとなった。