ちょっと時間が空いてしまい、メディアの動きでどんどん様子が変わってきました。なんだかなあ~の感じですが、引き続き書かせていただきます。

 

 

 

 

月刊ガバナンス No.185  2016 9月号 特集 首長と議会 から引用させていただきました。P17より

 

緊張感のある知事と議会の関係を築くには

 

慶應義塾大学法学部教授片山善博

 

重要政策と議会の決定機能

 

 話を戻すと、どうして中央卸売市場の移転という巨大プロジェクトが、その最終局面になって選挙の争点になり得るのだろうか。これまで巨費を投じてきたプロジェクトが、新知事のそれこそ「総合的判断」によって突如中止になるようなことがあっていいのだろうか。

 

 そんな不経済なことがあっていいはずがないのだが、それが「あり得る」状態に置かれるのはなぜか。それは、移転計画に含まれる様々な問題点を整理し、大方の合意を得た上でプロジェクトの内容やスケジュールを決定するという、厄介だが重要な手続きを踏んでいないからだと思われる。本来、その決定の責任は都議会が負っている。

 

 築地から豊洲への移転は、東京都の条例で既に正式に決定されている。本年3月31日の都議会で議決された「東京都中央卸売市場条例の一部を改正する条例」には、築地市場を廃止し、新たに豊洲市場を開設すると規定している。したがって、移転の是非を問う山場は7月の都知事選挙ではなく3月の都議会だったのだが、果たしてどれはどの都民がそのことを認識していたか。まことに影の薄い都議会の正式決定ではある。

 

 議会は決定機関である。決定するとは、単に数の多さを頼って多数決で決めることではない。多くの異論や反論がある中で、議論を通じてできる限りそれらを収斂させ、場合によっては多数派が譲歩ないし妥協することによって合意に達するのを理想とする。

 

 では、都議会は豊洲市場への移転に開する条例案の審議の中で、こうした異論反論を収斂させる努力をしてきたのか。例えば、都知事選挙の際に移転に反対ないし慎重な意見を寄せた関係者から直接話を聴く機会を、議会として持ったか。公聴会や参考人質疑の仕組みが設けられているが、これらを活用したか。

 

 また、マスコミは都知事選の候補者に市場移転の是非を問うていた。あたかもいまだに選択の余地があるかのように、新知事の判断で方針を変更しうるかのように尋ねるのでは、候補者にも有権者にも誤解を与えたのではないか。

 

 むしろ、この3月の都議会での条例改正に際して、決定権を持っている都議会議員たちに移転の是非について真剣に尋ねるべきではなかったか。議会が関係者から公の場で意見を聴いていないのであれば、公聴会や参考人質疑をなぜ開かないかと尋ねることも有益だっただろう。そうした情報がマスコミを通じて都民に伝えられていれば、市場移転問題に向けられる都民の注目と関心はもっと強かったに違いない。

 

 都議会はこの問題について形式的には条例改正を通じて決定したことになっているのだが、異論反論をできるだけ合意形成に結び付けるという意昧での決定プロセスを踏んでいない。それが、新市場への移転が目前に迫り、多くの関係者がそのために奔走している段階だというのに、新知事の「総合判断」待ちという情けない状況に至った大きな原因だと思う。

 

 実は、今になって色々と問題が出てきたかのごとく、メディアで騒がれていますが、私はちょっと違うんじゃないか?と思っています。

 

 「その最終局面になって選挙の争点になり得るのだろうか。これまで巨費を投じてきたプロジェクトが、新知事のそれこそ「総合的判断」によって突如中止になるようなことがあっていいのだろうか。」と記述がありますが、私は、お役所の仕事って、「自分の責任を完全に回避する手立て」をとることに非常に神経を使い、決裁等の書類を作成するにあたっても「て、に、を、は」を巧みに使い分け、あるいは「ん?何言いたいんだ?」という文章に仕立て上げます。

 

 本来の決裁そのものは、口頭で説得しながら回っていくため、書類と口頭とで乖離している場合さえもあると思われます。

 

 事の善悪や適否をここでは言いませんが、公務というのは、もちろん「適法」「公平」「公正」であることが大前提になります。

 

 そしてその法の基本中の基本である地方自治法です。下記の条文をお読み下さい。

 

第一条の二  地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。

 

第二条

~中略~

○14  地方公共団体は、その事務を処理するに当つては、住民の福祉の増進に努めるとともに、最少の経費で最大の効果を挙げるようにしなければならない。

~中略~

○16  地方公共団体は、法令に違反してその事務を処理してはならない。なお、市町村及び特別区は、当該都道府県の条例に違反してその事務を処理してはならない。

~以下略~

 

 公務員諸氏は、常にこのことを頭の中に入れて日々の業務にあたり、事業を考えます。

 

 どういうことかと申しますと、今回メディアで種々言われていることですが、専門家会議や技術会議など各種会議体の答申を無視したかのごとくの発言等がテレビから聞こえてきます。

 

 そうでしょうか?「ふむふむ、なるほどね。」が本来の各種会議体による答申に対する首長の初動の感想でなければなりません。

 

 じゃあ、この答申通りで行こう。

 

 この答申の内容では難しいな。

 

 この答申はどういうことになっていくんだろう?

 

 等々のことを考えつつ、「結論」を出すのは、首長補助執行職員であり、その結論に同意、あるいは最終結論とするのが首長であると思うのです。

 

 官民問わず「長」の交代時に前任者否定をするのは結構ですが、よくよく調査の上、決定発信すべきであると考えます。

 

 正直申し上げて言葉が適切ではありませんが、今回の小池知事のやり方によって、「素人」あるいは「素人集団」が、「自説」を無秩序に発信することによって、混乱を助長させているとしか思えません。

 

 昨日の知事の記者会見の一部を見ていましたが、中央卸売市場の問題については、「報告書」が出来上がるまではコメントを控えるがごとくのことを言っています。

 

 私から言わせればちゃんちゃらおかしいですね。この報告書で、悪者を作り上げて、総合的に判断して、適当なハード面での処置をして、予定より少しだけ開場日をずらすか、あるいは予定通り開場に全力をあげるという感じの幕引きではないでしょうかね?

 

 「報告書」は、真実を公にできるものになるとは思えませんね。

 

 不都合な小さな問題が、複数あって。

 

 情報公開を言いながら、内部会議を公開するくらいのことをやったんですから、報告書作成の全てを公開でやったらいかがでしょうかね?

 

 そういうことはしないでしょう。

 

 僕は絶対に悪者を役所の職員にして、カッコ良いフレーズで報告書を仕上げて、選挙パフォーマンスになるものにして仕上がると思います。

 

 下手すりゃ、最終決定は議決機関である「議会」であって、その責任は「議会」にあるとでも言い出すかもしれませんね。

 

 本論に戻りますが、この片山先生のおっしゃることに私は同意しますので、議会の審議が甘いことは否定できないと思います。

 

 「都議会はこの問題について形式的には条例改正を通じて決定したことになっているのだが、異論反論をできるだけ合意形成に結び付けるという意昧での決定プロセスを踏んでいない。」これはねえ~、なかなか難しいですよね。一時、船橋市議会でも頑張りましたけど、なんだか元の木阿弥っぽいです。

 

 みんな議員って選挙しか考えなくってね。余計な会議時間って嫌うんですよ。で結局、そういうことを主張する僕が嫌われちゃってね。(笑)。