前回、記事から大幅にはずれたので書き直しです。

 

 

月刊ガバナンス No.185  2016 9月号 特集 首長と議会 から引用させていただきました。P17より

 

緊張感のある知事と議会の関係を築くには

 

慶應義塾大学法学部教授片山善博

 

知事交代によって生じる政策変更のリスク

 

 小池新都知事がリオ・オリンピック・パラリンピック閉会式出席前に早々と取り組んだのが、築地市場の豊洲市場への移転見直し問題である。選挙期間中、小池氏は豊洲市場への移転について「立ち止まって考える」と発言していた。

 

 マスコミを通じて小池候補の優勢が伝えられる中、その発言を聞いた筆者はいささか危惧の念を抱いた。この11月7日に築地市場から豊洲市場へ移転する方針は既に決められていて、世の中はそれを前提に動いている。仲卸業者の店舗の移転はもとより、新市場に進出する事業者の投資も行われ、従業員も確保している。市場の移転に伴う物流網の変更も準備が整えられている。

 

 それやこれや11月7日をめざして、無数の人を巻き込む巨大プロジェクトが既に進行している。そんな状況下で、知事が交代した結果、移転が中止になったり、大幅に延期になったりすることがあれば、世の中が大混乱に陥ることは必至である。中には、投下資本を回収する見込みがつかず、倒産を余儀なくさせられる企業も出てこよう。新たに採用した従業員を解雇せざるを得ない事業者も予想される。それらについて、いったい誰が責任を取るというのか。

 

 ただ、豊洲市場への移転に問題がないわけではない。市場関係者の中には、今でも移転そのものに反対する人や慎重派と呼ばれる人も少なくない。市場への交通アクセスや市場内の大気汚染などを問題視する人もいる。

 

 そうした人たちは、一縷の望みをかけて知事候補にその声を届けようとする。マスコミも、立候補者に「豊洲市場への移転について、どう考えるか」などと尋ねる。その問いかけ自体が「移転には問題あり」との認識に基づいていることが窺われるので、一票でも多くを得たい候補は、それを選挙の争点とし、自分の手で問題点を明らかにした上で判断したいと答えがちである。それが小池氏の「立ち止まって考える」であり、「総合的に判断させて頂きたい」だったのだろう。

 

 さて、小池都知事の「総合的に判断」の結果がどうなるのか。ひょっとして、青島幸男元都知事が世界都市博覧会を中止したのと同じように、豊洲市場への移転を中止するのか。あるいは、移転時期を大幅に延期するのか。それとも、新市場の「使い勝手」を多少改善してお茶を濁した上で、予定どおり移転することになるのか。今のところ関係者は固唾を飲んで見守っている。

 

 前者の場合、とりわけ移転中止となれば、先に触れたように大混乱が生じる。都庁に対する損害賠償請求訴訟が引きも切らないだろう。無用の長物と化す巨大な豊洲市場を今後どうするのか。建設資金の回収も絶望的である。それら一連の後始末に必要となる膨大な経費を誰が負担するのだろうか。

 

 後者の場合には、都政での混乱は避けられるものの、政治的には大きなダメージを知事本人だけでなく社会にも及ぼすことになる。政治家は選挙の時にはさも期待を持たせるようなことを言っておきながら、いざ当選すると違うことをずる。この政治不信は、既に移転慎重派の市場関係者の問に広がっていると伝えられる。

 

 いささか次元は違うものの、後者の決着は、かつての鳩山由紀夫政権による米軍基地辺野古移転問題の扱いと通底する。鳩山氏は選挙期間中「最低でも県外へ」と明言していたが、結局はその「最低」を下回る県内移転を引き続き推し進めることになった。それは民主党(当時)に大きなダメージを与えただけでなく、沖縄県を中心に政治不信を拡大することにもつながったはずだ。

 

 いずれにせよ、知事が交代することによって生じる政策変更には大きなリスクが伴うし、場合によってそれまでの政策を変更しなかったとしても、やはり大きなダメージを及ぼす可能性を否定できない。

 

 私は次の部分がポイントだと思います。

 

 「そうした人たちは、一縷の望みをかけて知事候補にその声を届けようとする。マスコミも、立候補者に「豊洲市場への移転について、どう考えるか」などと尋ねる。その問いかけ自体が「移転には問題あり」との認識に基づいていることが窺われるので、一票でも多くを得たい候補は、それを選挙の争点とし、自分の手で問題点を明らかにした上で判断したいと答えがちである。それが小池氏の「立ち止まって考える」であり、「総合的に判断させて頂きたい」だったのだろう。」

 

 9月15日の本日現在では最早、中央卸売市場長をはじめ関係者を悪者に仕立てあげて、議会も他の関係者も知らぬ存ぜぬ。を決め込む勢いです。

 

 問題意識を新知事が持っていたとしても、ここまでの動きは為政者としてミスリードだと思います。

 

 片山先生もテレビ番組などでこれらの発言の中で「よくあること」として語っている部分があります。一部分ではありますが、日本全国どこでもある話です。

 

 それを僕のブログのように「盛った」くらいならまだしも、知識不足で然るべき人が発信したり、メディアの調査不足で事実を伝えるに当たっても、「ためにする」表現があれば、受け取る側は、事実とは全く違う受け止め方をするわけです。

 

 私は、今日までの報道では、むしろ担当者の苦悩が見て取れます。

 

 前任、前々任、前々々任も東京都知事ってかなりメディア操作に長け、個性的というより超人的個性の知事ばかりでした。

 

 困難事案をもって行きにくい環境、雰囲気があったのではないでしょうかね。

 

 そう言う場合の役人の行動論理ってなんとなくわかるのですが、苦悩の結果、「人としてどうよ?」の結論を出す場合があります。そしてストレスを溜めていく。かわいそうですよね。

 

 毒饅頭を食らう役人。毒饅頭を食らったふりをする役人。毒饅頭を食らったことをあからさまに指摘する首長。自分は食らわず、部下に毒饅頭を食らわす首長。

 

 「俺は毒饅頭とは関係ない」というふりをする首長。

 

 私は、都政は、この「俺は毒饅頭とは関係ない」というふりをする首長。が歴代続いたのだと思います。

 

 政治の世界は、どんなに時代が変わろうとも「清濁併せ吞む」世界なのです。

 

 そこには、メディアを使って情報公開などとアホなことを言い放ち、内部会議を公開するようなクソミソ一緒はダメなのです。

 

 テレビでは、元鳥取県知事の片山先生も、元三重県知事の北川先生も、改革派の先生方でさえも、今回の豊洲移転に関しては、「やりすぎ感」を醸し出していました。

 

 そうなんです。そうなんですよ。

 

 政治は結果です。「清」と「濁」の経緯経過があっても、結果として、市民県民国民の利益になる話だったら、そうせざるを得ないのです。

 

 それが有効かつ有益で、合理的帰結であり、最終的にそうだったね。と言えれば。

 

 だから今回だって問題意識があっても、外には出さず、内部会議でガンガンやれば良かった。と言う話だと思います。