No.185 2016 9月号 特集 首長と議会 から引用させていただきました。P15

 

二元的代表制の真髄

 

東京大学名誉教授 大森 彌

 

二元的代表制に内在する対立の契機

 

 議会の議員と首長が直接別々に選ばれるということは、それぞれが、住民に対して、直接、責任をとる立場にあることを意味している。そこで、どちらが住民の代表機関としてよりふさわしい振る舞いをしているかを競い合うことになる。

 

 はい、私はかねてより、あえてこれらを首長側が「執行責任」と言い、議会側が「議決責任」と言っています。

 

 簡単に言えば、市長提案議案を無条件追認議決のような安易な取り扱いをしたら、問題が生じた場合は特に「連帯責任」であると。

 

 当たり前すぎるくらい当たり前ですが、このことを理解していない議員が数多くいるのが現実です。

 

 否、船橋市議会においてはです。日本国内のすべての議員さんがではありません。

 

 首長は、独任制であり、多くの一般職員を部下として使えるから、政策展開での主導性を発揮しやすく、複数からなる合議制の議会は政策・行政上の争点を形成し、多様な民意の所在を明らかにしやすい。自治体運営において、この二つの機関は、しばしば車の両輪と言われる。どちらかが故障を起こせば自治体運営が成り立たないほど密接な関係にあることのたとえである。この二つの代表機関は、競い牽制し合いつつも協力し合って住民にとって最良な意思決定を行っていくのが基本任務である。

 

 昔は車の両輪論を言う首長が多かったのですが、そうでしょうか?私は違うのではないかと思っています。首長の都合の良い、解釈ではと思うのです。

 

 車の両輪に例えることが今の時代に即していない議会と長の関係だと思っています。

 

 無理して車に例えるとしたら、私たち議会はアクセルとブレーキとハンドル。いわばドライバーではないでしょうか?

 

 首長は車のボディとエンジン。暴走もあるし、船橋市役所みたいにポンコツだとプスプス言いながら、エンストしそうになりながらも走り続けている。(笑)。

 

 でも、議会はドライバーではないですね。コントロールしようとしても、全く言うことを聞かないから。エンジンは勝手に回り続けるし、排ガス規制も効かないし、アクセルもブレーキもあまり効かない。かなりのポンコツだ~。(笑)。

 

 どっちもね。ブレーキペダルもよくよく踏み込めない。アクセルペダルもよくよく踏み込めない。(笑)。

 

 こう書くでしょ。そうするとある幹部職員は反論するのです。俺の赤い新車はハイブリッドなんだよ。これからはハイブリッドの時代なんだよ。って。(笑)。

 

 はいはいそうですね。私はあなたの言うことは絶対服従です。

 

 ところが、密接であるが故に両者が反目しあうことも起こりうる。反目が起こるのは、むしろ二元的代表制自体に起因しているとも言える。ある人を首長に選んだ民意と一定数の顔ぶれの議員を選んだ民意との問にズレが生じうるからである。そのズレは、民意が、いずれかの代表機関の振る舞い方へ反省を求めている証拠かもしれない(例えば、無軌道な首長と常識ある議会、旧態依然の議会と改革志向の首長)。

 

 うちは平和平和。僕と佐藤重雄議員だけが口うるさく言うだけ。あとはもう、平和主義。(笑)。

 

 両者の対立が極まると、議会側が首長不信任を突きつけ、首長が議会解散で応ずるといったことも起こりうる。首長が辞めれば首長選挙になり、議会が解散されれば議員の選挙になる。いずれにしても、選挙で民意に問うことによって対立を解消する以外にない。この点で住民自治が前提となって二元的代表側が成り立っているといえる。

 

 しかし、両者の関係がぎくしゃくし、対立が強まれば、自治体としての意思を確定できず、行政が停滞して、地域の将来や住民の暮らしを危うくしないとも限らない。日頃から、両者間で意思疎通を密にして、折り合いをつける必要がある。二元的代表制の運用には、それなりの工夫と努力が不可欠なのである。

 

 今回の部分は何度読んでも、この最後の部分に全てが集約されている感じですね。

 

 「日頃から、両者間で意思疎通を密にして、折り合いをつける必要がある。」という部分です。

 

 まさにこのことが最も重要なことです。