No.185  2016 9月号 特集 首長と議会 から引用させていただきました。P17より

 

 ちょっとごめんなさい。とりあえず、築地の件が書かれていて、ほぼまったく片山先生の考え方に同調するものでして、全文を引用させていただきます。

 

 コメントは後日別枠で書かせていただきます。この記事を読んで、東京都条例をチェックしましたら、

 

東京都中央卸売市場条例 

 

東京都中央卸売市場条例施行規則

 

 を読み込んでいませんがざっくり読むだけで、もう色々なことが決まって事前準備を始めています。こういう状況なのに、メディアを使って自己の宣伝に使うのは如何なものかと思いますね。

 

 都民の皆さんがメディアによってミスリードされないためにもこの条例改正が行われいているいる事実を知っておいていただきたいですね。

 

 なので、まずは記事をご覧ください。

 

緊張感のある知事と議会の関係を築くには

 

慶應義塾大学法学部教授片山善博

 

 根回しでものごとを推し進める風習は、都政に限ったことではない。他の多くの自治体でも似たり寄ったりのことをやっている。もとより、根回しの効用を一切否定するつもりはない。ただ、それによる弊害の方が大きいことは指摘しておく必要がある。

 

 知事と議会との関係はどうあるべきか

 

 知事と議会との関係はどうあるべきか。このことは、去る7月31日に行われた東京都知事選挙の争点でもあった。当選した小池百合子氏が、立候補を表明した際の公約の第一に「都議会冒頭解散」を掲げていたのは記憶に新しい。

 

 「冒頭解散」とはなんとも唐突で、その真意をつかみかねていた。内閣総理大臣は衆議院を国会の冒頭にでも解散することができるが、知事が議会を突如解散することなど法的にできないからだ。首長が議会を解散できるのは、地方自治法の規定に従い、議会が首長を不信任した場合に限られる。

 

 その後、「冒頭解散」とは、都議会を招集した際、多数会派が気に食わない新知事に対して不信任議決をするなら、直ちに都議会を解散するとの決意を示したまで、と言うような説明に変わっていた。

 

 最初からこの説明が用意されていて、その上でいわば虚仮威しで「冒頭解散」と言ったのか。それとも、衆議院解散と同じ気分でつい公約に掲げたものの、基本的な知識不足を指摘されて、先の説明を苦し紛れに考えたのかは、よくわからない。

 

 ただ、そのいずれであったとしても、小池氏は既に選挙戦に入る前の段階で、都議会の多数派議員たちに複雑な感情を抱いていたことが窺われる。また、小池氏は、「都政は、誰がどこで決めているのかわからない」とも述べていたが、これも都議会と都庁執行部との不正常な関係が存在するとの認識のもとに、白分が知事になってそれを正常化したいとの強い意思を表明していたものと思われる。

 

知事交代によって生じる政策変更のリスク

 

 小池新都知事がリオ・オリンピック・パラリンピック閉会式出席前に早々と取り組んだのが、築地市場の豊洲市場への移転見直し問題である。選挙期間中、小池氏は豊洲市場への移転について「立ち止まって考える」と発言していた。

 

 マスコミを通じて小池候補の優勢が伝えられる中、その発言を聞いた筆者はいささか危惧の念を抱いた。この11月7日に築地市場から豊洲市場へ移転する方針は既に決められていて、世の中はそれを前提に動いている。仲卸業者の店舗の移転はもとより、新市場に進出する事業者の投資も行われ、従業員も確保している。市場の移転に伴う物流網の変更も準備が整えられている。

 

 それやこれや11月7日をめざして、無数の人を巻き込む巨大プロジェクトが既に進行している。そんな状況下で、知事が交代した結果、移転が中止になったり、大幅に延期になったりすることがあれば、世の中が大混乱に陥ることは必至である。中には、投下資本を回収する見込みがつかず、倒産を余儀なくさせられる企業も出てこよう。新たに採用した従業員を解雇せざるを得ない事業者も予想される。それらについて、いったい誰が責任を取るというのか。

 

 ただ、豊洲市場への移転に問題がないわけではない。市場関係者の中には、今でも移転そのものに反対する人や慎重派と呼ばれる人も少なくない。市場への交通アクセスや市場内の大気汚染などを問題視する人もいる。

 

 そうした人たちは、一縷の望みをかけて知事候補にその声を届けようとする。マスコミも、立候補者に「豊洲市場への移転について、どう考えるか」などと尋ねる。その問いかけ自体が「移転には問題あり」との認識に基づいていることが窺われるので、一票でも多くを得たい候補は、それを選挙の争点とし、自分の手で問題点を明らかにした上で判断したいと答えがちである。それが小池氏の「立ち止まって考える」であり、「総合的に判断させて頂きたい」だったのだろう。

 

 さて、小池都知事の「総合的に判断」の結果がどうなるのか。ひょっとして、青島幸男元都知事が世界都市博覧会を中止したのと同じように、豊洲市場への移転を中止するのか。あるいは、移転時期を大幅に延期するのか。それとも、新市場の「使い勝手」を多少改善してお茶を濁した上で、予定どおり移転することになるのか。今のところ関係者は固唾を飲んで見守っている。

 

 前者の場合、とりわけ移転中止となれば、先に触れたように大混乱が生じる。都庁に対する損害賠償請求訴訟が引きも切らないだろう。無用の長物と化す巨大な豊洲市場を今後どうするのか。建設資金の回収も絶望的である。それら一連の後始末に必要となる膨大な経費を誰が負担するのだろうか。

 

 後者の場合には、都政での混乱は避けられるものの、政治的には大きなダメージを知事本人だけでなく社会にも及ぼすことになる。政治家は選挙の時にはさも期待を持たせるようなことを言っておきながら、いざ当選すると違うことをする。この政治不信は、既に移転慎重派の市場関係者の間に広がっていると伝えられる。

 

 いささか次元は違うものの、後者の決着は、かつての鳩山由紀夫政権による米軍基地辺野古移転問題の扱いと通底する。鳩山氏は選挙期間中「最低でも県外へ」と明言していたが、結局はその「最低」を下回る県内移転を引き続き推し進めることになった。それは民主党(当時)に大きなダメージを与えただけでなく、沖縄県を中心に政治不信を拡大することにもつながったはずだ。

 

 いずれにせよ、知事が交代することによって生じる政策変更には大きなリスクが伴うし、場合によってそれまでの政策を変更しなかったとしても、やはり大きなダメージを及ぼす可能性を否定できない。

 

重要政策と議会の決定機能

 

 話を戻すと、どうして中央卸売市場の移転という巨大プロジェクトが、その最終局面になって選挙の争点になり得るのだろうか。これまで巨費を投じてきたプロジェクトが、新知事のそれこそ「総合的判断」によって突如中止になるようなことがあっていいのだろうか。

 

 そんな不経済なことがあっていいはずがないのだが、それが「あり得る」状態に置かれるのはなぜか。それは、移転計画に含まれる様々な問題点を整理し、大方の合意を得た上でプロジェクトの内容やスケジュールを決定するという、厄介だが重要な手続きを踏んでいないからだと思われる。本来、その決定の責任は都議会が負っている。

 

 築地から豊洲への移転は、東京都の条例で既に正式に決定されている。本年3月31日の都議会で議決された「東京都中央卸売市場条例の一部を改正する条例」には、築地市場を廃止し、新たに豊洲市場を開設すると規定している。したがって、移転の是非を問う山場は7月の都知事選挙ではなく3月の都議会だったのだが、果たしてどれはどの都民がそのことを認識していたか。まことに影の薄い都議会の正式決定ではある。

 

 議会は決定機関である。決定するとは、単に数の多さを頼って多数決で決めることではない。多くの異論や反論がある中で、議論を通じてできる限りそれらを収斂させ、場合によっては多数派が譲歩ないし妥協することによって合意に達するのを理想とする。

 

 では、都議会は豊洲市場への移転に開する条例案の審議の中で、こうした異論反論を収斂させる努力をしてきたのか。例えば、都知事選挙の際に移転に反対ないし慎重な意見を寄せた関係者から直接話を聴く機会を、議会として持ったか。公聴会や参考人質疑の仕組みが設けられているが、これらを活用したか。

 

 また、マスコミは都知事選の候補者に市場移転の是非を問うていた。あたかもいまだに選択の余地があるかのように、新知事の判断で方針を変更しうるかのように尋ねるのでは、候補者にも有権者にも誤解を与えたのではないか。

 

 むしろ、この3月の都議会での条例改正に際して、決定権を持っている都議会議員たちに移転の是非について真剣に尋ねるべきではなかったか。議会が関係者から公の場で意見を聴いていないのであれば、公聴会や参考人質疑をなぜ関かないかと尋ねることも有益だっただろう。そうした情報がマスコミを通じて都民に伝えられていれば、市場移転問題に向けられる都民の注目と関心はもっ

と強かったに違いない。

 

 都議会はこの問題について形式的には条例改正を通じて決定したことになっているのだが、異論反論をできるだけ合意形成に結び付けるという意昧での決定プロセスを踏んでいない。それが、新市場への移転が目前に迫り、多くの関係者がそのために奔走している段階だというのに、新知事の「総合判断」待ちという情けない状況に至った大きな原因だと思う。

 

根回しによる執行部と議会の癒着と堕落

 

 本年11月7日をもって築地市場を廃止し、新たに豊洲市場を開設する旨を正式決定したのは本年3月31日の条例の改正だったことは先に述べた。ところが、この条例改正に先立つ昨年7月17日には、既にその内容が記者発表されていた。ちなみに、その時の報道資料には、「東京都議会の議決による東京都中央卸売市場条例の改正等を経たうえで、正式に決定します」とある。

 

 筆者は、この記者発表に強い違和感を覚えざるを得ない。都議会の存在や機能をいかにも軽視しているからである。この記者発表の後に条例改正案を都議会に提出し、そこでそれが否決ないし修正されたら、どうするというのだろうか。

 

 まさか都庁が「都議会の議決が得られれば、こうなる」などと停止条件付で発表したわけではあるまい。そんないい加減なことなら、その時に発表する意味がない。その真意は、いずれ間違いなくこの内容のとおりに議決されるが、それを待っていたのでは間に合わないので、今の内からこの内容で準備を進めるようにとのメッセージであったに違いない。

 

 それはそれで関係者には親切だろうが、そこには見過ごすことのできない重大な問題が含まれている。それは、議会に議案を出してもどうせ結論が変わることはないとの傲慢な態度である。

 

 もちろん都の関係職員は都議会にしっかり根回しをしているのだろう。根回しの対象は、それこそ小池氏が選挙中に批判していた「都議会のドン」及びそのドンが属する会派にとどまらない。その作業を通じて、該当の議案が無傷で可決されるとの確信を得た上での記者発表であったに違いない。

 

 根回しでものごとを推し進める風習は、都政に限ったことではない。他の多くの自治体でも似たり寄ったりのことをやっている。もとより、根回しの効用を一切否定するつもりはない。ただ、それによる弊害の方が大きいことは指摘しておく必要がある。そのことを、ここでは筆者が鳥取県知事に就任した頃のことを取

り上げて説明する。

 

 当時の鳥取県でも、条例や予算などの議案が議会で議決される前に、その内容を実施することは決して珍しくはなかった。土木建設工事費の増額に伴う工事請負契約変更について議会の議決を得る前に、実質的に変更後の契約内容で工事を進めている、などという事例が典型的である。

 

 該当の幹部職員は、議会の実力者の了解を取っているから問題ないと言うが、それは認識誤りである。問題の一つは、議論を封殺してしまうことである。先の事例で言うと、そんなに工事費を増額してまで続行する必要はないのではないかとの意見が大いにあり得るはずだが、もはや増額を前提にして工事が進められていては、後戻りができない。

 

 もう一つの問題は、議案を人質に取られてしまうことである。もう後戻りできないのだから、是が非でも議案は無傷で可決してもらわなければならない。もし否決でもされたら、職員は進退窮まることになる。そんな状況の下で、その実力者はもとより多数派に属する議員からあれこれと頼まれごとが持ち込まれれば、それが多少筋の悪い代物だったとしても、毅然として断ることのできない心理状態に陥りがちである。

 

 これは筆者が県庁の幹部職員たちから得た知見だが、都政でも似たようなことが起きているのではないか。市場移転にとどまらず、都政では何ごとも議会多散会派への根回しをことのほか重視していると聞く。

 

 そこから都庁幹部と都議会多数会派との間に隠微な関係が生まれ、それが高じると、「都政は、誰がどこで決めているのかわからない」という先の小池氏の疑念にもつながってくる。根回しに依存する体質から脱却することも、知事と議会との関係を正常化する上で、頗る大切なことであるはずだ。