前回に引き続き、追加の議案質疑を考えるにあたって、非常に興味深い、関連すると思われる雑誌の特集記事がありました。
完全なる転載になってしまいますがお許しいただければと考えています。2回~3回分けて書きます。
月刊 ガバナンス No.182 2016 6月号 ぎょうせい刊
月刊ガバナンス 2016年 06 月号 [雑誌] 1,080円 Amazon |
今回の郷土資料館の追加工事の問題は、個人を活かす、自治体組織ヘ―「組織の論理」からの脱却を―ということの中でも、「組織の論理優先」がある意味では原因ではないかと考えているのです。
これもいつも書いていますが、誰のために仕事をしているかの視点がまったく違うところに行っているからです。
どういうことかをこの記事を読みながら考えてみたいと思います。
「大きな組織」から「小さな組織」ヘ
このように多様な人材を活用し、個人の意欲と能力を最大限に発揮させるには、組織やマネジメントを骨格からつくり直す必要がある。
御意。まさにこの通りです。ここを理解出来る幹部職員がいて、主張できるかです。
私は、いわゆる「大きな政府」「小さな政府」になぞらえて、組織を「大きな組織」と「小さな組織」に分類している(拙著『個人を幸福にしない日本の組織』新潮新書、2016年)。いうまでもなく、ここでいう「大きな」「小さな」は組織の規模ではなく、組織の役割、構成員へのかかわり方を意味する。
工業社会の時代、企業は均質な製品を正確かつ迅速に生産し、販売することが最大の目標だった。それは事務やサービスの部門でも同じである。雇用や人事の面でも、いかに均質な人材を獲得・育成するか、そして標準的な意欲と能力を発揮させるかが最大の課題である。
そこでは、組織の論理を前面に出した「大きな組織」が有効だった。企業は望ましい人物像をあらかじめ措定し、それに当てはまる人材を選別して採用する。採用後は人事部によって各部署に配属し、年次別・階層別の研修やOJT(実務をとおした教育訓練)で育成する。また人事評価は仕事の能力や業績だけでなく、態度や意欲、人物などを含め、全人格的に評価する。そして全社的な「適材適所」の観点から定期的に異動を繰り返しながら、いわゆるゼネラリストとして昇進させていくのである。
まさに「組織の論理を前面に出した「大きな組織」が有効だった。」は、過ぎたものだと思っています。そこの部分の記述もありますが、そういう時代があったことは認め、そういう時代でよかったことも認めたいと思います。
「企業は望ましい人物像をあらかじめ措定し、それに当てはまる人材を選別して採用する。」とありますが、こういうことを計画的にできていればなあ~と思いますね。
「採用後は人事部によって各部署に配属し、年次別・階層別の研修やOJT(実務をとおした教育訓練)で育成する。」この育成が重要なのですが、船橋市の場合は、職員研修場に丸投げで、予算を対してつけないで、受講者に心地よい研修しかしていないらしく、ぜんぜん、成果が上がっていないように思えます。
「そして全社的な「適材適所」の観点から定期的に異動を繰り返しながら、いわゆるゼネラリストとして昇進させていくのである。」という部分はまさにこの通りで、こういう個々の育成を総合的、全庁的に行わないと、職員の士気に影響があると思います。
以前にも書きましたが、犬仲間やゴルフ仲間、さらに昔は野球部じゃなきゃとかね。そういう人事はダメということですよ。
自治体の組織は定型的な業務を暗黙の前提にしていたので、いっそう「大きな組織」としての特徴が顕著になる。人事課の権限や影響力の強さ、典型的な年功制などはその象徴である。
そういうこと。そこが大きな問題。
ところが前述したとおり、自治体の業務内容も近年、大きく様変わりしている。その結果、組織の論理によって運営される「大きな組織」の非効率的、非生産的な面があらわになってきた。「大きな組織」では個性的な人材を獲得し活躍の機会を与えることができないし、特別に高いモチベーションを引き出したり、専門能力を育成・発揮させたりすることが難しいのである。
だから仕方ない。今のまましかない。と言いだすのが船橋市役所。
そこで「大きな組織」から「小さな組織」への改革、というより「改造」が必要になる。
もうすべてこの通りですよね。悲しいくらい。(笑)。
「分厚いミドル層」を解体するには
第一に、組織の構造をつくりかえることである。
日本の組織は階層が多く、中間管理職の占める比率が高いところに特徴がある。とくに自治体組織はそれが顕著であり、公式な階層だけでも六つ、七つとあり、役職者が大半を占めるような自治体も少なくない。
このような「分厚いミドル層」が日本の組織の強みだという見方もある。企業ではミドル層が知識創造の源泉になっているし、役所では多くの役職者が意思決定に参加するので慎重な決定がなされるといわれてきた。
ん?うちは違う感じがするな。色々な面で。
たしかにそのようなメリットはあるが、同時にそれが上下のコミュニケーションの障害になったり、迅速な意思決定を妨げたりするというデメリットもある。また重要な仕事と権限がミドル層に集中し、第一線で仕事をする人の裁量権や自律性を小さくしていることも事実である。海外と比較して日本の企業や役所では現場の担当者の裁量、決定権は著しく小さい。
これはですねえ~、会社員時代海外へ営業に行くたびに痛感しましたね~。なので、裁量権、決定権をいただいて、営業に出かけていましたね~。
名刺のタイトルも、Director of Salesにしていましたね。直訳では計り知れない意味合いが海外では強くてですね、この「海外と比較して日本の企業や役所では現場の担当者の裁量、決定権は著しく小さい。」はいいんだかわるいんだか?って感じです。(笑)。
前述したような職員の仕事や求められる能力の変化を踏まえたら、これらのデメリットがメリットを上回るようになったことは否定できない。
これねえ~まさしく感じますね。
そこで組織のフラット化と、現場への実質的な権限委譲が必要になる。
私見では許認可や契約などの業務は別にして、大半の業務はトップも含めて3階層か4階層の組織にフラット化できるはずだ。そうすると管理職の負担が過重になるとか、部下の指導・育成がおろそかになるといった批判も予想されるが、そもそも現在の仕事とその配分を前提にしているところに問題がある。組織そのものの骨格から変えれば、フラット化は不可能でない。
現在の管理職は多くの業務を抱え込みすぎている。管理職の仕事をマネジメントに限定するとともに、思い切って現場への権限委譲を進めればよい。そうすれば管理職の負担は大幅に減り、「分厚いミドル層」を構成する中間管理職の多くはライン周辺から引き上げて別の仕事に回せる。
その際のポイントは、管理職より力量の劣る人ではなく、逆にエース級を引き抜いて新規事業や特命事項など「攻め」の仕事に充てることである。そうすれば管理職から外れたからといってモラール(士気)が低下することはないし、フラット化への抵抗も薄れる。そして、組織そのものの体質も外向きで革新的になる。
このように①組織のフラット化、②現場への権限委譲、③管理職業務の簡素化、④エース級の抜擢、を併行して行えば、現場職員の意欲・能力も向上するため、現在と同じ人員ではるかに多くの仕事ができるようになるに違いない。