僕って全く酒を飲まないのですが...

 皆さ~ん、ゴールデンウィーク、お酒断ちしてますか~。って、断つべき方と逆にゆっくり楽しんでいる方とに分かれると思います。何れにしても、節度ある飲み方で、楽しんでいただければと思います。

 

 さて、政治の世界に入って随分経ちますが、私にとってお酒の席や「お酒」は永遠のテーマのような部分があります。

 

 物心ついて、8歳の時から父は市議会議員。昭和40年代の市議会議員の家なんて、各種のお酒が常備状態。しかも、日常的に酔っぱらいが押しかけてくるわ、父が呼び出されるわでもう大変。

 

 選挙ともなれば、当時は、毎日が宴会。それでも警告を受けながら、慎ましやかに。

 

 父も私同様の下戸。無理して飲むふりはするけど、まあ、全くと言って良いほど飲めない人でした。

 

 父の時代は、サントリーオールドとお寿司の出前の時代。

 

 ちょっとしたお客様には、お寿司の出前をとって、サントリーオールドやビールをお出しする。これが一般的でした。

 

 自宅敷地内に、商売の関係の建物がいくつかあって、別棟でお客様の接待がありました。

 

 また、選挙ともなれば会議も、会議後の酒食も全部別棟。しかし、小さいながらも「お運び」の手伝いは当然のこと。

 

 一方、平常時は、近所のスナックで飲んでいる支持者、支援者に呼び出され、多くの場合に、支払いまでも。

 

 ぼやくぼやくという感じで、父も支払いのために呼び出されることに対しては随分と嫌な思いをしていたようです。家族にしか言えないぼやきですよね。

 

 一方で来客の中でも酔客に対するぼやきは母からよく聞きましたね。これまた家族にしか言えないぼやきですが。

 

 というように、「議員と酒」は、8歳からのテーマでした。(笑)。

 

 それでも社会人になり、「酒の席」は当然のごとくいくらでもありました。社会人一年生の時は、社長から始まって、それぞれの役員、直属の上司、先輩、同期、仕事に慣れてくると取引先などなどとお酒の席は頻繁でした。

 

 しかしながら、「飲めません。すみません。」が通じる会社であり、認めていただけていました。

 

 おかげで、お酒の席が苦になることはなく楽しくお供をさせていただきました。

 

 でも、嫌だった「話題」はありましたね。

 

 負け犬根性の先輩のグチ。これは性に合わないのです。私の。

 

 さて、とは言え「酒席を共にする」の重要性は、最近非常に良くわかってきました。

 

 しかし、共にするだけではダメだということも同時にわかってきました。

 

 酒を飲めなくて、酒を飲むということがどういう状況を生み、作るのかが全く理解できない私ですが、一緒に酒を飲んで、というか、席を共にして、人間関係が深まる人と、そうでない人がいるということです。

 

 そして、より良い人間関係が築ける人は、やはり優秀な人であり、仕事や事業で成功していますね。

 

 ある意味、強引に引っ張り出して行く人もいますが、そこは「あ」「うん」の呼吸で、席を共にし、楽しい時間を過ごさせていただいていると思います。

 

 ところが、一緒に飲みたいと思わない人に強引に誘われてもなかなかね~。ってこともこれまたありますね。

 

 私は好奇心旺盛ですから、とりあえず初対面や初めての方のお誘いはしっかり乗ります。

 

 愚痴酒、説教酒はさすがにこの立場、年齢になってくると少ないのですが、愚痴酒はしっかりと受け止めて差し上げますね。

 

 ある意味一匹狼の我々ですが、組織の人たちの愚痴は「参考」になるものが多いんですね。実は。

 

 説教酒はもうダメですね。この歳になると、はいはい。と。全く無意味な時間と思って終わります。(笑)。

 

 酒席ではない部分では説教は十分聞きます。でも酒の力を借りなきゃ私に説教できないような人の話は「いいや~」って感じですね。

 

 だって酒の席での説教って、ある意味愚痴でしょ。って感じ。

 

 でもね、説教にも色々とあって完璧に酔っての説教は好きです。大好きな部類です。これは楽しいですね。

 

 酒の力で思いっきり言ってくる人がたくさんいますが、こういう人ってほぼ100%が僕のことを心配してくれて言ってくれる人ばかり。うれしいですね。

 

 さてず~っと、本論から外れています。

 

 またまた雑誌の記事ですが、下記の記事をお読みください。

 

 船橋市役所もそうみたいですね。

 

 確かに、あいつとなんか旅行なんか行きたくねえ~よ。という管理職っていますしねえ~。

 

 もっと言えば、酒だって行きたくね~よ。となりますし、確かに今時の若い人だったら、なんでプライベートな時間まであいつに説教されなきゃいけね~んだ。ともなりますわね~。

 

 時代が変わったんでしょうが、まあ~、ねえ~。

 

 だけど、酒が入ると、人の良い、真面目なんだなって思える人もたくさんいるんですよね。

 

 笑っちゃうのが、公式な飲み会の時に議員を説教している職員もいましたが真面目ゆえのご発言だったのでしょう~。苦労してんだな~。と。

 

 船橋市役所でいうと、私たち議会筋と公式飲み会とそうでないものがありますが、まあ、うまく立ち回っていただければと思います。

 

 職員諸氏の飲み会は、やはりその意味や意義をしっかりと説いて、行っていただきたいですね。

 

 また、上司は部下が嫌がる説教などはしないことですね。

 

 私が、船橋市役所職員諸氏に行っていただきたい理由は、市内経済の活性化に寄与すること。そして、市役所を身近に感じていただくために、身分を明かして、飲むこと。です。

 

 そしてそれが自己研鑽、自己啓発の一環であると考えながら飲むこと。です。そうすれば苦痛であっても、入ってくるものがあると思うのです。

 

 会費を払って、あるいは割り勘で払ってでも、食材は船橋産か?卸屋さんは船橋市内か?なんで船橋ものではないのか?この店の賃料いくらだ?この店保健所との関係はどうなんだ?従業員は市民か?などを知ることって仕事にプラスですよね。

 

 市役所の職員だったら、市役所業務に関わる事柄が、飲食店の中には山ほどあります。

 

 そういう目で見てればくだらない説教も心地よいかもですね。

 

 あるいは説教が鬱陶しかったら、従業員と話し始めちゃえばいいんですよね。

 

 社会人2年生は、中国駐在でした。宴会の国中国。初めて会ったら友達で、2回目に会ったら親友で、3回目に会ったら大親友だというお国柄。この回数イコール宴会数でした。

 

 何度も何度も乾杯をする。酔い潰れたら負けよ。みたいなサドンデスゲームみたいな宴会をやって、人柄を知る。人物を見る。が当時の中国の宴会でした。しかも外国人との宴席には厳しいルール(ルールブックの存在がありました)の下において行われていました(笑)。

 

 

 

 月刊 ガバナンス No.181 2016  5月号 ぎょうせい刊  P70

 

 

 「今年度から職場の飲み会は、春の歓送迎会だけになりました」

 そう嘆くのはI市の税務課に勤務するOさん(50歳)だ。その歓送迎会にしたところで、業務ではないから強制力もなく、不参加の職員も少なくない。

 激減したのは「飲み会」だけではない。同じ親睦が目的の「旅行会」に至っては数年前に姿を消した。

 Oさんが嘆く背景には「飲み会と旅行会は、職場の人間関係の潤滑油のような役目を果たしてきたわけでしょ。この二つをなくして、いったいどうやって腹を割った付き合いをしろというのでしょうか……」との、思いがあった。

 とは言うものの、Oさん自身は若手職員の頃、飲み会と旅行会は大の苦手だった。「当時は若手が幹事を務めるのがならい。また、飲み会も旅行会も数が多かったですから、すぐに回ってくるんです。本当に憂鬱でした」と当時を振り返る。

 飲み会は、春の飲送迎会と初夏の暑気払い、年末年始の忘年会と新年会が、係と課でそれぞれI回ずつ。これだけで年8回。若手職員には、組合青年部のクリスマスパーティーなども加わる。旅行会は春に係単位で、秋には組合で企画されたほか、若手には同期会の旅行もあった。

 「旅行会の幹事役はとにかく大変でした。低予算なのに特別料理を勝手に注文されたり、温泉がないと怒り出す人をなだめたり、マージャンする人たちに付き合って徹夜をしたり。若くて体力があったから務まったようなものです」

 忘年会では忘れられない思い出がある。20代後半になって幹事役にも慣れた頃の話だ。

 Oさんは女性職員たちの希望を聞いて「イタリアン」の店を予約。すると係長から「ナイフとフォークの店なんかで宴会できないだろ」と叱責された上に、「二次会はいつもの寿司屋を予約しとけ」と難癖(?)まで付けられる始末。「いつもの寿司屋」は1人当たり1万円ほど予算がかかったが、「イタリアン」はその半額で済んだ

 「当日は4次会まで付き合わされました。最後は係長と二人きりで朝までカラオケです(笑)」というから、なるほど体力勝負である。

 「『付き合い』とはよく言ったもので、飲み会で何を話したかなんて覚えてないけど、朝まで付き合った事実だけは消えません。でも、いま思うとあの頃が潮目だったのでしょうね。飲み会も旅行会もそれからどんどん減っていきました」

                           (杉元政光)