「傍聴者と議員との対話は議会を変えるか」という雑誌記事がありました。下記の通りです。引用をさせていただきます。

 

 正直申し上げて、如何なものか。と。感じました。しかし、こういうことを求める時代になってくるのかな。とも思いました。

 

 まずはお読みください。

 

 

 

 月刊 ガバナンス No.181  2016 5月号 ぎょうせい刊 P88

 

傍聴者と議員との対話は議会を変えるか

 

市民と議員の条例づくり交流会議がワークショップ開催

 

 市民と議員の条例づくり交流会議は3月27日、都内で「議会を変えるー議員間討議【実践編】」と題したワークショップを開催した。ワークショップでは架空の自治体の将来人口ビジョンを題材に参加者が委員役(議員)や傍聴者役(市民)となって模擬委員会で討議。 傍聴者との対話が議会の意思決定をどのように変えるのか体験した。

 

 議場で傍聴者と対話しないのはなぜ?

 

 ワークショップには市民や議員など約70人が参加。まず、全国自治体議会の運営実態調査2016(速報販)の説明があり、15年1年間で議員間討議(自由討議)を実施した議会は22・2%あり、請願・陳情で市民が直接説明する機会のあった議会が27・8%だったことが報告された。また、休憩など非公式な場で傍聴者からの発言を認めている議会が少ないながら8件(1.3%)あった。

 続いて交流会議代表運営委員の廣瀬克哉・法政大学教授が「議会を変える議員間討議」と題して基調提起を行った。廣瀬教授は、議会改革が次のステップに進むために、「市民の実情、感情、視点が議員の質問・質疑にもっとつながらないだろうか」と提起した上で、市民の納得を得られる議決が求められると強調。議場外での対話(議会報告会など)も大いにやるべきだが、「議場で傍聴者と対話しないのはなぜか?」と述べ、傍聴者と議員との対話は、「私たちの意見を反映した審議」「私たちの意思決定」と傍聴者が当事者となり、議会を変える可能性を指摘した。

 

 傍聴者との意見交換を踏まえて討論・採決

 

 ワークショップでは廣瀬教授の基調提起に沿って、議員間討議と傍聴者との意見交換を盛り込んだ「模擬委員会」を2時間半にわたって実施。参加者は委員(議員)役、傍聴者(市民)役になり三つのテーブルに分かれて座った。執行部による議案説明→質疑→傍聴者との意見交換・議員間討議を相互に2回→討論・採決という流れで、テーマは架空の自治体「上嶺市」の将来人ロビジョン。同市では自治法96条2項に基づき同ビジョンが議決事件項目であるという設定だ。

 最初は戸惑い気昧だった参加者も討論が始まると白熱。途中からは立ち上がって発言する姿もあった。模擬委員会の結果、二つは継続審査、一つは否決という結果となった。

 ワークショップ終了後、元北海道栗山町議会事務局長の中尾修氏は「議決に責任を持つ議会になるべき」と指摘。日本ファシリテーション協会フェローの加留部貴行氏は「情報格差が小さくなるとフオーラムになっていく」と対話における情報共有の重要性などを話した。

 

 以上ですが、こうこと、こういう視点でのことが記事となるのは少々残念な気持ちがいたします。

 

 船橋市議会にも議員間討議を盛んに言ったり、提案したり、がありますが、さてさて、議員間討議とはどういうことでしょうか?

 

 多くの地方議会では、会派制を取っています。議案に対しては、それぞれの会派で、議員間の討議をします。これは公式ではなく、非公式に自由な発言形式で行っていると思います。

 

 そうした討議の結果が、会派の採決態度となります。

 

 さらに申し上げると、船橋市議会では会派内で考え方が違って、議決(採決)態度を違える場合もあるようです。(これは最早会派とは言えないと思いますが、昨今の船橋市議会では「会派」というものの定義が各会派によってまちまちなようです。)

 

 船橋市議会の通常の審議日程からしますと、常任委員会で各委員の態度表明が必要ですから、その委員会前までには各会派で「議員間討議」が行われていると思います。

 

 ということは、委員会で議員間討議(言ってみれば会派間討議だと思いますが...)を行っても既に結果を出しているものを覆すことは至難の技と言わざるをえません。

 

 順序が後先になりましたが、「議員間討議」とは小さな会派制を取っていない議会であれば可能性は高いのですが、なかなか難しいと思うのです。

 

 仮に、頑張って、「議員間討議制度」を導入するとすれば、会期を十分に取らないとならないと思いますね。形だけを整えるなら簡単ですが、本質を伴うものにするのならば、非常に時間を要するものとなります。

 

 記事にもありますが、船橋市議会で当てはめてみますとむしろ、さらなる時間が必要ではと思います。

 

 記事中にワークショップでは、「議案説明→質疑→傍聴者との意見交換・議員間討議を相互に2回→討論・採決」とあります。

 

 私の経験ややり方からすると、

 

 個人的な議案の情報収集→議案説明→個人的な聞取り→個人的に過去チェック→再度個人的な聞取り→議案質疑(自身でやる場合と他の議員のものを聞く場合がある)→再度個人的な聞取り→個人的に関係者聞取り→再度個人的な聞取り→会派打合せ→会派として聞取り→会派打合せ(態度決定)→委員会(討論・採決)(事実上の議了)→本会議採決

 

 となります。これは最大限のパターンです。自身で判断できる場合は、ショートカットはします。

 

 が、ここに例えば委員会において議員間討議を入れて、態度を変更するには、委員会を途中で終えて、会派に持ち帰ります。

 

 そしてその討議の内容を報告し、再度、執行機関や関係者のヒヤリングをします。自分たちと違う考え方があれば、それらに基づいて、多角的にその考え方の対応の仕方を協議、打ち合わせします。

 

 そして委員会でしょう。もし、この議員間討議の本来の意味意義を考えたら、再度委員会で議員間討議をし、再度会派持ち帰りが必要でしょう。どこまでそれを繰り返しやるかということになります。

 

 私が申し上げたいのはここです。結局際限なくなる話なのです。そして逆説的に申し上げれば、そういう素地の元で効率的運営を考えた時には、現行の全国的に一般的になっている会派制であり、委員会制であり、議決までの基本手順があるのです。

 

 すべての地方議員がとは言いませんが、非常勤特別職という身分は、いつでも公務以外の時間は、ありとあらゆる関係者と意見を交換したり、議論をしたり、教えを請うたりできるようになっています。

 

 自身で意見聴取努力はしなければいけません。

 

 そもそも代議制であると認識している私は、個人的に関係者ヒヤリングをする段階で、十分に話をして多角的に検討すれば良いと思っています。

 

 なぜ、氏素性を知らない、自分に投票してくださったかどうかもわからない政治的なスタンスがわからない傍聴者との話し合いをしなければならないのか全く理解ができません。

 

 議会の制度として、広く議会外の方々の意見を聞きたければ参考人招致の制度を利用したり、公聴会の制度を利用すれば良いだけの話であって、何もわざわざ大層に傍聴者との対話などというのかが理解できません。

 

 また、陳情、請願の制度もしっかりと確立されており、公平、公正、平等に「もの言う制度」の確立ができています。

 

 あえて、議場まであるいは委員会室まで足を運んだ方との議論というのは、如何なものか?公平、公正、平等に議論ができるのか?ナンセンスな話だと思います。

 

 話を戻します。

 

 百歩譲って、傍聴者との対話を入れるのであれば、私が示した関係者の話を聞くタイミング以外あり得ませんね。

 

 そうでなければ結論ありきの対話でしかありません。

 

 ワークショップなどで議会ごっこを「大学の先生様」の指導に従ってやることは楽しいでしょうけど、議会の実態に即していない非常に「幼稚な話」だと思いました。

 

 また、この大学の先生の発想は一部の使えない何もわかっていない勉強不足の地方議員の実態だけを見て語っているとしか思えません。残念です。

 

 さらに申し上げると、この学者の知識はどこまでか知りませんが、傍聴者と議員を同じ土俵で議論させるという発想は、もはや日本の選挙制度や議会制度を完全否定しているとしか言いようがありません。

 

 仮にをこれからいくつか書きますが、「仮に」を考えただけでありえないのです。

 

 傍聴者との対話が、

 

 公式か非公式か?

 記事中のワークショップのサイクルでは公式です。こんなものあり得ません。私が記述したように参考人制度などきちんとした議決手続きをしたものは、有効に機能できますが、そうでないものは昨日のさせようがありません。

 

 実施するとしたら、傍聴者は傍聴者ではなくなります。どういう立場にするのでしょうか?

 

 傍聴者が多かったら、どうするのでしょうか?

 

 どういう場所でやるのでしょうか?

 

 単純に、入り口部分を考えただけでも、いかにこの考え方、発想が稚拙かわかります。

 

 確かに、昨今の地方議会には「ごっこ」を実践したがる若手議員がぎょうさんおりますが、そういう勉強不足、独りよがり、自分勝手、ステレオタイプ、無鉄砲、向こう見ずな議員の暴走を助長するような「学説」のように見せかけた「戯言」は厳に慎んでいただきたいと思いますね。

 

 多分、この先生、無理なことをわかって市民を煽っているとしか思えません。