予算特別委員会(3)-4

 予算特別委員会(3)の回答を教育委員会よりいただきました。

 

 前回に引き続き、市民の皆さんと考えてみたいと思います。

 

 質問4)そのいわゆる先生の服務監督権限はどなたですか?

 

 回答)市町村教育委員会

  

    地方教育行政の組織及び運営に関する法律 43条 1

    

    ※校長が所属織員を監督する

    船橋市立小学校及び中学校管理規則 4条 1

 

 皆様は、私の混乱を理解してくださいますか?(笑)。

 採用は県。

 任免権は県。

 給料は県。

 服務監督権限は市。

 

 一瞬、県から職員が出向してきているのだと思えば良いのかなと思った時期もあったのですが、そうではない。

 

 なぜ私の頭の中で引っかかるのかというと、学校というハードウェアの整備等は、市が行います。

 

 船橋市民の子供達の教育を一手に担うのが千葉県から給与をもらって、採用もされた先生が行いますが、服務監督は市。

 

 市に預けるから、服務の監督はお願いね。でも何かあった時の処分は私たち県が行います。当たり前でしょう。採用も給料もこっちなんだから。って感じ?

 

 だから何?長谷川さん。って声が聞こえそうです。

 

 実は、この疑問を常に投げ続けてきたのですが、非常に曖昧なままなのです。

 

 何がというと、先生たちは、船橋市の職員?千葉県の職員?どちらですかというと、まず、船橋市教育委員会の教員籍の職員は「?」となり、船橋市市長部局職員は「船橋市の職員です。」と言い切るのです。

 

 まだお解かりではないでしょう?(笑)。

 

 プライドと言っては双方に失礼ですが、双方に双方の所属の意識が違うのでは?と思うのです。

 

 今回(定例会前の話ですが)面白いことがありました。

 

 市長が船橋市立高等学校の卒業式に出席したいから、議会の開議時間の配慮を願いたいという話でした。その際の話では、市の設置した学校だからというような話がありました。

 

 いやいやいや、だったら小中学校も出席しろよ。ということになります。

 

 こういうこと一つとっても、変。

 

 私の友人の市長は、FBでその活動を見る限り、小中学校の卒業式も出席している感じです。

 

 それでいて、何かあると市長は教育委員会のことには立ち入らないようなことを言っておきながら、今定例会では越権の答弁をしたり、越権の意思決定をしたりしています。

 

 なぜこんなことが起きているのでしょうか?

 

 そして私がなぜこのことにこだわるのか?

 

 それは、お互いにその責任を押しつけ合う体制の構築がなされているからです。

 

 大津市のいじめによる自殺の事件に端を発し、「教育委員会制度のあり方」が大きく変わりました。

 

 そこの段階で、義務教育学校のあるべき姿をしっかりと考えなければならなかったのですが、さてさて、船橋市は考えたのでしょうか?

 

 私は考えていないと思います。

 

 それは今回のこの質問の最終的な着地点の仕事ぶりがあまりにもポンコツだからです。

 

 市長が総合教育会議で、「教育大綱」を決めました。当たり障りのないものです。

 

 しかし、その裏側や、中の細かなことも目指す姿があれば問題ありませんが、あの私が気になる事案を平気で認めてしまうようでは、ポコツであることに変わりはありません。

 

 船橋市の子供達の大半が受ける義務教育。この義務教育をどうしていくか?船橋の子供達がどう育ちあがってほしいか?

 

 船橋の子供達をどう育てたいか?

 

 抽象的な言葉を使った言葉遊びはいらないのです。

 

 国では安倍晋三内閣総理大臣が、我が国の子供達をこう育てたい。という明確、明快なビジョンで教育改革を進めてくださっているにも関わらず、それに呼応しない。ひどいものです。って思いますよ。

 

 批判ばかりでは進みませんが、船橋の子供をどうしたいんだろうと思います。

 

 どうするにしても。どうするにしても、肝は「先生」なのです。

 

 優秀で、熱意があって、子供に真剣に向き合う先生が必要です。先生という「人種」は、少なくとも大学の課程を終えて、教員免許を取得して、夢と希望と志を持って、採用試験に挑み、見事合格し、晴れて教員になった。

 

 現実とはちょっと違う。現実とはだいぶ違う。全然違う。あれ?あれ?あれ?となって、次第にあの頃の夢と希望と志は何処へやら。

 

 疲弊に疲弊を重ね、ただただ毎日を忙しく過ごすだけ。下記に朝日新聞デジタルの記事を引用させていただきました。

 

 

 なぜ新任女性教員は自殺した? 保護者対応・支援不足…

岡雄一郎、千葉雄高 高浜行人、芳垣文子

2016年3月10日19時46分

 東京都内の公立小の新任女性教員が2006年、自殺した。心を病んだ末の死だった。これが先月、東京地裁に「公務災害」と認められた。保護者対応や職場の支援不足などが女性を追い詰めたと、判決は断じた。しかし、心を病む教員は減っておらず、専門家は研修などの対策を促す。

 「泣きそうになる毎日だけど。。。。でも私こんな気分になるために一生懸命教師を目指したんやないんに…おかしいね」。母親にこんなメールを送ってしばらく経ってから、25歳の女性教員は自殺を図った。06年10月のことだ。女性は同年12月に亡くなった。

 その後、うつ病を患っていた女性の自殺を公務災害としない処分を決めた地方公務員災害補償基金(本部・東京)に対し、両親が処分取り消しを求めて提訴。東京地裁は今年2月、「自殺は公務が原因」として処分を取り消す判決を言い渡した。

 判決によると、女性は06年4月、初めて赴任した学校で2年生を担任。5月、ある保護者に電話で「(児童が)万引きをした」との情報提供があったことを伝えると、「事実を示せ」と激しい抗議を受けた。最後は校長が謝罪する事態になった。

 「小テストの採点は子ども同士ではなく、先生がしてほしい」。連絡帳にこう記した保護者への返事が遅れた際は、電話で長時間釈明せざるを得なかった。授業での班分けについて、夜間や休日に携帯電話に繰り返し要望してくる親もいた。

 新人教員向けの研修に参加した際には、講師から「(新人は)いつでもクビにできる」「病休・欠勤は給料泥棒」と聞かされた。保護者とのトラブルについて、校長から全職員の前での説明を求められ、謝罪したこともあった。児童同士のトラブルもあり、心労を重ねた女性は7月、うつ病と診断されて病気休職した。だが9月に復帰した後も不調が続いた。それでも「新任だから休めない」などと話していたという。

 「毎日夜まで保護者から電話とか入ってきたり連絡帳でほんの些細(ささい)なことで苦情を受けたり…」。母親へのメールには、仕事の苦悩が記されていた。判決を受け、父親は「教育関係者には、子どもたちを育てる場に、決して過労死問題を持ち込まないでいただきたい」と話した。(岡雄一郎、千葉雄高)

 

 先生バカって言葉が適正か否か知りませんが、大学を卒業した瞬間から先生先生と呼ばれるから、常識も何も身につかないで、人との接し方も上から目線で子供達にものを教えるように高圧的でどうしようもねえ。と言われるような先生もいますが、逆にそれだけ純粋に生きている先生が多いことも事実です。

 

 大学を卒業して、ただただひたすら子供達と夕方まで過ごし、子供

と別れてから、今度は教員として公務員として事務作業。へろへろになって帰宅して食事をするのがやっと。明日の授業を考えると子供の顔が浮かんできて、お風呂の最中も、テレビを見てても子供のこと。

 

 自分の子供でもないのになどと思いながらも、結局は教え子のことを終日考えながら、夢にも出てきてしまう。

 

 そんな純粋な先生がたくさんいる中、この先生方の仕事の効率化や合理化、児童生徒との向き合い方の改善。それを常に図っていくのが我々政治の務めであるのではと思うのです。

 

 時代が変わってきているのです。教育長や教育次長、各部長、課長が教育委員会で教員経験者として仕事をしていますが、確実に時代が変わってきているのです。

 

 「聖職者」として、尊敬をされ、夢と希望と志で誇り高く教育に打ち込んでいた時代とは明らかに違います。

 

 教員の先輩として、彼らが心地よく、気持ち良く仕事をする環境整備をするのが教育行政職員と政治の役割だと思います。

 

 僕は、この新聞記事のような事件が船橋市では絶対に起きて欲しくないのです。もちろん日本全国で起きて欲しくないのです。

 

 だからこそ、船橋市で先鞭をつけるような教員の職場環境の改善努力を絶えずしていくべきだと思うのです。

 

 それによって、「船橋市の小学校の教員になりたい。」「船橋市の中学校の教員になりたい。」という先生や先生の卵が増えてくれれば、事前と優秀な、熱意ある、希望も、誇りもある優秀な教員によって、船橋市の子供達が教育を受けられるんです。

 

 良い先生に巡り会う。このことが、子供達にとってどれだけ大事か?良い先生は一生の先生です。

 

 一生付き合える先生に船橋の子供達がより多く巡り会うために、私は微力ながら努力したいと思っています。

 

 だ・か・ら、職場環境なのです。