ある議員さんや市の職員の方々から「保守」とはについての話を伺いました。


 その話は明らかに間違っていると思いました。


 私は、本来の保守とは、稲田朋美自由民主党政務調査会長のような考え方、政治姿勢、政治の思考だと確信しています。


 稲田朋美先生のホームページから抜粋・引用させていただきます。

稲田朋美ホームページ

 

 

伝統と創造 ~ 道義大国実現のために ~

 真の改革とは、明治維新がそうであったように、伝統を守りながら創造することです。明治維新は神武天皇の創業の精神に立ち戻って近代化を進めました。「復古ということは、いつも維新ということ」というのは西田幾多郎の言葉ですが、伝統なき創造は空虚、創造なき伝統は枯渇なのです。


 戦後65年を経た日本は、建国以来未曾有の危機にあると思います。東日本大震災は、戦後の日本人の生き方や価値観の転換をもたらしました。豊かさの中で失われたものを取り戻さなければなりません。

 政治が全力で取り組まなければならない問題は、大は国としての独立を守り、領土領海を保全するという安全保障から、震災復興、行政改革、財政再建、教育改革、少子化対策など山積しています。


 日本は単に経済大国としてだけでなく、道義大国を目指さなければなりません。道義大国とは「国民の倫理観が高く民主的な国、国民が日本人であることに誇りを感じ、日本の伝統と文化を世界に誇れる国、世界から頼りにされ尊敬される国、一部の裕福な人と多くの貧しい人がいる国ではなく、弱者に対するいたわりと思いやりにあふれ、社会正義が貫かれる国」です。


 そのために、明治維新の原動力となった松平春嶽公や橋本左内、五箇条のご誓文の案文を作った由利公正らを輩出した伝統あるふるさと福井から、日本人が取り戻さなければならない[日本人の心]を発信して行きたいと思います。

                   稲田朋美


 私はこの稲田先生の政治理念に表されていることが、本来の意味の「保守」だと思います。


 まず、冒頭の「伝統を守りながら創造することです。」という部分。


 今、船橋市議会の改革を巡って、「保守」とはなんぞやを今更ながら議論をする方々がいるようです。それが私の冒頭の記述です。


 字義通りの捉え方で、「伝統を守る。」ことだけを保守というんだと説。確かに、ついこの間までの船橋市議会の多数は、そういう考え方だったと思います。それは単なる「旧態依然」にすぎません。


 社会が日進月歩で様々な形で変化していく中、古いものを見たけりゃ議会へ行けと揶揄される所以です。


 まさに稲田政調会長のおっしゃる通り、私たち自由民主党の議員は「伝統を守りながら」新しい社会構造の変化に常に対応するために、いつ何時でも創造をしながら進んでいます。


 そこを地方議員各位は大きく勘違いをしている感じです。「共産党」が言うことはすべて反対。「旧社会党」が言うことはすべて反対。


 アホかっ!!


 時が止まっている政治家はいりません。まさに「旧態依然」そのもの。


 以前から私はこのブログに書いていますが、手法は違っても、船橋市民の福祉の向上願って、様々な提案や意見を述べています。


 地方がイデオロギーで争っていても意味がありません。結果が同じになるのであれば、充分に議論をする場をできるだけ多く用意をすることが肝要だと思うのです。


 だからこそ、議会の改革、ひいては議会運営改革が急務でもあるのです。そこには意識の改革が伴わなければ、その根本からの改革は望めません。先般、会議に出席をしていて、道のりの険しさを体感しました。


 まず、自称保守や保守と呼ばれる議員が「伝統を守りながら創造すること」のうち伝統を学ぼうともせず、創造することも放棄をするような発言が多数あり、自らの職務を放棄するとしか思えないような状態でした。


 問題先送り主義、事なかれ主義。信じがたい話でした。そして自己弁護のために玉虫色に「現状では良くないとは思うが今回は現状維持で」というような、責任回避の卑怯者発言。愕然としました。


 まあそれはさておき、執行機関にも同様に考えるバカ者がおりまして、上から目線で議会まで扇動している気配さえあります。困ったものです。政治の素人たちは。


 さて、本当はこの稲田先生のすべての部分を部分的に抜き出し、コメントさせていただこうと思いましたが、長くなりましたので、皆様でじっくり繰り返しお読みいただければと思います。