政治の奥は深いんだよねえ~。って思います。


 参議院の様子を見ていて痛切に思います。山本太郎が、「自民党が死んだ日」って紙をカメラに映るように掲げていました。そしてしっかり映り、こうやって僕がブログネタにしたり、いろいろと反応する人がいるでしょう。


 しかし、彼らの知識って「ステレオタイプの自民党情報」に過ぎないと思うのです。


 民主党政権が簡単に国民に見放されました。


 僕は、今でこそ風前の灯ですが、昔の日本社会党は存在感があったし、存在価値があったと思います。


 民主党の軽さと無責任さが非常に腹立たしく思います。岡田代表はじめ自民党出身の議員が結構いますが、そのときから時が止まっていると思います。自民党の不祥事があったときに飛び出した組です。


 私は自民党は、政権を担っている責任をきちんと果たしている、意識の高い玄人集団だと思います。一部にはもちろんアホたれがいますが、その多くは非常に責任感の強い、倫理観の高い集団だと思います。


 昨日の参議院の我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会を見ていて思ったのですが、なんで、民主党をはじめとする野党は、リズムをとって手拍子でなんか叫んだり、その前の衆議院の委員会か何かではプラカードだかなんだか、今回の山本太郎みたいな紙を掲げたりって、あんたたち何やってんの?って聞きたくなる大学生のサークル活動みたいな議員活動が目立ちました。言っていることもね。


 私は、今は様々な情報が瞬時に全国を駆け巡る時代です。さらには、政治に関心の無い国民だって、教育の水準が上がってきていて、様々な領域で活躍する方々が増えてきていて、ニュースを見極める知識や力があります。


 民主党のパフォーマンスって、見抜かれちゃうと思うんですよね~。


 なんか政治の中(内)側の方が、ステレオタイプで時代遅れの情報によって動いている感じがものすごくします。


 私は、これらのことを全体的に見渡して感じたことがあります。というか痛切に感じ思っていることです。「私」を犠牲にしてでも「公」に殉ずる覚悟、つまり「公の復活」という意識改革、教育改革を推し進めることが必要ではないかと思います。


 それは、子供たちに対する教育もそうですが、実は若い政治家にもそういう意識をしっかりと持っていただく事項ではないかと思うのです。


 「公の復活」には、祖国への誇り、国家意識の回復が欠かせません。「国家」や「公」に尽くすことは本来、人類普遍の価値である思うのです。「あらゆる人間愛の中でも、最も重要で最も大きな喜びを与えてくれるのは祖国に対する愛である」とローマ帝国の歴史家が言ったそうです。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」と新約聖書にもあります。「戦後教育が避けてきた人類普遍の価値を取り戻すしかない。」と強く思った昨今の国会状況でした。