って感じることないですか?


 ここ数日、あまりにも、あまりにもという感じで、世の中の動きに注目しています。


 このブログを書こうと思ったのは、ある雑誌記事電子版を読んで感じたからです。


 ジェネリック医薬品の是非についてです。「安いなら「ジェネリック医薬品で…」その選択があなたの寿命を決めている?」というタイトルでした。


 なにもこの記事をターゲットにしようということではありません。


 ただこの記事も、そうなのですが、高名な先生らしき先生の記事として、掲載されています。


 例えばですが、このジェネリック医薬品に関しては、諸説あることは事実です。そして私もお医者様複数人に伺っても、「信頼しない」という趣旨のお話を聞くケースの方がほとんどです。

薬剤師の先生に伺うと、また違った反応です。


 よくよく、詳しく伺うと、「なるほどねえ~」というお話ばかり。しかし、厚生労働省がジェネリック医薬品使用を、患者の自己責任に委ね、玉虫色の決着をして、医療費の抑制と国民の健康を天秤にかけた苦しい結論という気がしないでもありませんが、そういう私の記述も曖昧模糊としている、「伝聞に基づく意見陳述」です。


 ジュネリックはなんとなく信用できない。お医者様が学術的に納得いっていない?本当にそうだろうか?


 先発品は信頼をして、後発品を信頼しない先生は何を根拠にそうおっしゃっているのだろうか?この雑誌記事でもその検証はかなり曖昧な感じです。


 くどいようですが、そのことを責めるわけではありません。


 そのあいまいであることの表現もされている記事ですから、結構なのですが、記事を書いた先生の肩書きや記事内容から、これまた、「自己責任」で、読者が咀嚼、判断できれば良いのですが、そういう材料までもが示されない中で、見出しのタイトルがどちらかに誘導していないだろうか?ということです。


 さて何を申し上げたいか?

そうです。例えば、公に広く国民の目に触れる、あるいは耳に入るメディアのあり方として、それを咀嚼できる力のない国民が多数いる中での、情報発信の仕方として正しいか否か?そこまで言わないまでも、その姿勢がどうあるべきかを、最近は悩み続けています。


 安保法制、新国立競技場。この二つで頭の混乱です。


 安保法制。憲法学者が違憲と発言。だから何ですか?

 

 できれば憲法学者が「違憲」と発言することがどういうことで、しかし、何十人、何百人の憲法学者が「違憲」と言っても、我が国の制度はどうなっているのかを「補足説明」していただきたいと思うのです。


 すでに私と同じようにお考えの方々が、反論というか、ブログや記事にし始めました。


 「雰囲気」でこの国のあり方を論じるメディアの風潮が、あたかも国全体の風潮のように倍加させて行くことの危うさをなんとなく直感的に感じるのです。


 政治のリテラシーとでも言うのでしょうか、まだ未熟なこの国において、60年安保、70年安保で挫折を味わった団塊の世代の最後の方の方々が、メディアにまだ生き残っていて、あの時の運動をもう一度とやっているとしか思えない今回の騒動。幼気な若い純粋な若者たちを巻き込んでいる姿に、自己陶酔型無責任さに怒りを覚えています。


 安保法制は、すでに参議院に送られ、これからですが、60年、70年安保を経て、今、若き自衛官がどのような覚悟をもって、日々精励してくださっているのか?ある意味、学生運動を行える「余裕」のあった方々が、社会を斜に構えながら見つめ続けてきて、夢よもう一度なのでしょうか?

先般関西系の報道番組を見ていて、本当に考えさせられました。そもそも、あの番組が関東地区で放送できないのはなぜか?


そこまで言って委員会NP

たかじんのそこまで言って委員会NP 戦後社会運動史 徹底検証SP

 なんとも物悲しい感じです。


 今一度、尖閣諸島で起こっていること、小笠原諸島で起こっていること、この国周りで起こっていることを正確に報道し、国民の多くが知っていくこと。


 国防の最前線がどういうものか?本土にいて、のんび~り暮らしていることの幸せがこのままで永遠に続くと考えているのでしょうか?


 国立競技場の問題もそうです。


 「なんとなく」で動いていないのでしょうか?


 先般、驚いたのはあるバラエティ番組で、あの国立競技場のコンペでザハ・ハディドに負けた設計士が出演して一生懸命自分の設計作品を見せながら解説をしていました。あり得ない番組作りだと思いました。バラエティですから、所詮はバラエティですからと言えば良いのかもしれませんが、あまりにもひどいと思いましたね。あげくに、今度のコンペに応募しますか?と問われて、するようなコメントをしていました。


 森先生が日本記者クラブでの会見の模様が少しづつ出てきていますが、それでも為にする記事が多く相変わらずでなんとも言えない気分です。

前回も書いたのですが、「国立競技場」です。それを、国内のドーム型競技場と建設費を比較したり、収容人員を比較したりとなんとも比較にならない比較をするメディアが多いことに辟易です。


 「National Stadium」で検索すると世界中の国立競技場がヒットしてきます。それらをチェックすると、規模などは全く問題ない。むしろ世界最先端を行くのなら足りないくらい。建設費は、その国の経済状況や物価によって違うのですから、やめましょうよそんな比較って感じです。

それにしても、多くのスポーツ関係者の、その競技団体の、それぞれの意向を満たす競技場にしてあげたかったですね。


 「2位じゃだめなんですか?」の村田蓮舫の言葉が思い出されます。