わが千葉県出身の大田実中将の電報文の現代語訳です。

 その後に、沖縄全戦没者追悼式での安倍内閣総理大臣のあいさつ全文です。そしてその後に知事の平和宣言です。


 なんとも、切ない気持ちになりますね。戦後70年という節目に知事がこの場で述べるものであるのでしょうか?


 以下電報文です。(原文の方が良いのか、現代訳の方が良いのか悩みましたが、とりあえず、現代語訳で)


 沖縄県民斯ク戦ヘリ


 沖縄県民の実情に関して、権限上は県知事が報告すべき事項であるが、県はすでに通信手段を失っており、第32軍司令部もまたそのような余裕はないと思われる。県知事から海軍司令部宛に依頼があったわけではないが、現状をこのまま見過ごすことはとてもできないので、知事に代わって緊急にお知らせ申し上げる。


 沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、陸海軍は防衛戦に専念し、県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、私が知る限り、県民は青年・壮年が全員残らず防衛召集に進んで応募した。残された老人・子供・女は頼る者がなくなったため自分達だけで、しかも相次ぐ敵の砲爆撃に家屋と財産を全て焼かれてしまってただ着の身着のままで、軍の作戦の邪魔にならないような場所の狭い防空壕に避難し、辛うじて砲爆撃を避けつつも風雨に曝さらされながら窮乏した生活に甘んじ続けている。


 しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。


 どうせ敵が来たら、老人子供は殺されるだろうし、女は敵の領土に連れ去られて毒牙にかけられるのだろうからと、生きながらに離別を決意し、娘を軍営の門のところに捨てる親もある。


 看護婦に至っては、軍の移動の際に衛生兵が置き去りにした頼れる者のない重傷者の看護を続けている。その様子は非常に真面目で、とても一時の感情に駆られただけとは思えない。


 さらに、軍の作戦が大きく変わると、その夜の内に遥かに遠く離れた地域へ移転することを命じられ、輸送手段を持たない人達は文句も言わず雨の中を歩いて移動している。


 つまるところ、陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、(一部に悪評が無いわけではないが、)ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。


 食糧はもう6月一杯しかもたない状況であるという。


 沖縄県民はこのように戦い抜いた。


 県民に対し、後程、特別のご配慮を頂きたくお願いする。

 安倍内閣総理大臣あいさつ全文です。

 「戦後70年、沖縄全戦没者追悼式に臨み、沖縄戦において、戦場に倒れた御霊、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に向かい、謹んで哀悼の誠をささげます。先の大戦において、ここ沖縄の地は、国内最大の地上戦の場となりました。県民の平穏な暮らしは、にわかに修羅のちまたと変じ、豊かな海と緑は破壊され、20万人もの尊い命が失われました。戦火のただ中、多くの夢や希望を抱きながら倒れた若者たち、子供の無事を願いつつ命を落とした父や母たち。平和の礎に刻まれた多くの戦没者の方々が、家族の行く末を案じつつ、無念にも犠牲になられたことを思うとき、胸塞がる気持ちを禁じ得ません」


 「私たちは、この不幸な歴史を深く心に刻み、常に思いを致す、そうあり続けなければなりません。筆舌に尽くしがたい苦難の歴史を経て、今を生きる私たちが、平和と安全と自由と繁栄を享受していることを、改めてかみしめたいと思います。私は今、沖縄戦から70年を迎えた本日、全国民とともに瞼を閉じて、沖縄が忍んだ、あまりにもおびただしい犠牲に、この地に倒れた人々の流した血や涙に思いを致し、胸に迫り来る悲痛の念とともに、静かに頭を垂れたいと思います」


 「その上で、この70年間、戦争を憎み、ひたすらに平和の道を歩んできた私たちの道のりに誇りを持ち、これからも世界平和の確立に向け、不断の努力を行っていかなくてはならないのだと思います。美しい自然に恵まれ、豊かな文化を有し、アジアと日本をつなぐゲートウェイとしての沖縄。イノベーションをはじめとする新たな拠点としての沖縄。沖縄は、その大いなる優位性と、限りない潜在力を存分に生かし、飛躍的な発展を遂げつつあります。沖縄の発展は、日本の発展を牽引(けんいん)するものであり、私が、先頭に立って、沖縄の振興を、さらに前に進めてまいります」


 「沖縄の人々には、米軍基地の集中など、永きにわたり安全保障上の大きな負担を担っていただいています。この3月末に西普天間住宅地区の返還が実現しましたが、今後も引き続き沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしてまいります。結びに、この地に眠る御霊の安らかならんこと、ご遺族の方々のご平安を心からお祈りし、私のあいさつといたします。平成27年6月23日、内閣総理大臣、安倍晋三」


翁長知事平和宣言全文

 「70年目の6月23日を迎えました。私たちの郷土沖縄では、かつて、史上稀に見る熾烈な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。それは、私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。戦後、私たちはこの思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました」


 「しかしながら、国土面積の0・6%にすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73・8%が集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発にさまざまな影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合はわずか0・7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります」


 「沖縄の米軍基地問題は、わが国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選拳で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、『その危険性除去のため辺野古に移設する』『嫌なら沖縄が代替案を出しなさい』との考えは、到底県民には許容できるものではありません。国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります。政府においては、固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます」


 「一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳がじゅうりんされるなど悲劇がいまなお繰り返されています。このような現実にしっかりと向き会い、平和を脅かすさまざまな問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人たちの『万国津梁』の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子どもたちの笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します」


 「慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。平成27年6月23日 沖縄県知事 翁長雄志」