夕刊フジより


【ニッポンの新常識】どうしても尊敬できない一部の政治家たち ケント・ギルバート氏 (1/2ページ) 2015.06.20


 民主主義社会において政治家という仕事は、リスクが高い部類に入る。


 もちろん、リスクのない仕事など世の中に存在しない。しかし、経営者や会社員、公務員、プロスポーツ選手、職人、芸術家、小説家などが負う職業的リスクと、政治家が負うリスクには、根本的な相違点がある。


 政治家は、自分の実力や努力とは全く無関係な要因で、そもそも仕事に就けなかったり、突然職を失う可能性がある。


 つまり、選挙に勝たなければ政治家にはなれないが、その勝敗は気まぐれでいい加減な有権者の投票結果で決まる。


 テレビで見た候補者に投票する。顔が好みだから投票する。若い女性だから投票する。名前が長いから投票しない。党首が嫌いだから反対側に投票する。雨が降ったから投票に行かない。天気が良いから遊びに行く…。


 特定の支持政党を持たない有権者の投票など、どの国でもこんなものだ。政治家はそんな有権者の気まぐれに一生付き合わなければならない。


 後述する件も影響しているだろうが、安定志向が強い日本では、成績優秀で品行方正、人格も優れた人物が、若いころから政治家を目指すケースは少ない。これは有権者側のレベル、言い換えれば「真剣さ」にも原因があると思う。


 現実問題として、国政選挙の有権者よりも、「AKB総選挙」の投票者の方がよほど真剣である。自腹を切って投票権を購入しているからだ。


 改正公選法で18歳から自動的付与される選挙権に、ありがたみを感じている有権者は少数派だ。低投票率はその証しである。


 候補者の経歴や実績を詳しく調べたうえで投票する熱心な有権者は、恐らく5%にも満たない。残りの票はひたすら頭を下げ、握手をして、手を振って…。私にはとてもマネできない。


 そのような泥臭く、地道な選挙運動を覚悟のうえで、高い志を持ち、リスクを冒して立候補し、実際に政治家となって国民や住民のために尽くす人物を私は評価したい。


 だから、政治家は全員が、尊敬に値する人物であってほしい。与野党や支持政党に関係なく、全国民が尊敬し、子供たちが国を越えて憧れる存在であってほしいのだ。


 暴力で審議を邪魔する政治家。目前に迫る国家の危機を無視して重要法案に難癖を付ける政治家。「戦争反対」と国会を取り囲んでも、日本を挑発する汚職大国には文句ひとつ言わない政治家。自分が原因で日本の名誉が損なわれたのに、潔く謝らず言い訳を続ける政治家。


 残念だが、私は彼らを尊敬できない。


 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、人気タレントに。現在は講演活動や企業経営を行う。自著・共著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)、『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)など。


 特に下線部に関しては、大変ありがたく、うれしくおもいます。コメントをそれぞれにしたいくらいですが、今回はやめておきます。読者の皆さまがこの新聞記事をどう捉えてくださるかを期待しております。