父が亡くなり、船橋市議会の歴史について語る方々も減ってきました。

更には、父がお世話になった藤代七郎市長のお孫さんが議員になる時代になってきました。父が勲章を賜った時に記した記録を掲載させていただき、私の父の側から見た船橋市議会や政界についてを残させていただきます。

 ご参考までに。ちなみにこれを書いた時、私は市議会議員2年生でした。


中国に旅して


 大学時代に前期で中国文学を学びました。唐詩を教科書にしていました。


 中国、特に西安に旅したときには昔の唐詩を思い出しました。王維の送元二使安西です。これは唐詩を学ぶ人、詩吟をやる人は知らない人がいないほど有名です。


 西安に行った際にこの詩の中、渭城の近くまで行きました。また、次男が中国湖北省武漢大学に留学していましたので、どんな所かなと訪ねてみました。


 ここでも李白の黄鶲樓送孟浩然之廣陵の詩を思い出し、唐の時代よりある建物、黄鶲樓を見学しました。中国では別れの時には柳の枝を丸くして送るそうです。また帰って来て下さいとの意味だそうです。


 唐時代の有名な詩人、李白が、黄鶲樓より孟浩然の乗った小舟が揚子江の彼方に消えて行くのを眺めた情景を思い浮かべて感慨無量なものがありました。李白、杜甫、王維、青春時代に戻ったような気持ちでした。


 西安で、中国人に唐詩の話をしましたが、文革時代に育った中国人は知らないとの返事でした。


 中国も、日本の戦後と同じように、文革により古きよきものも捨て去ったのかなと考えました。中国より伝来した佛教初め、諸文明は脈々と日本に残っていますが、中国では無くなってしまったのではないでしょうか。