研政会ってどんな会派ですか?

 とTwitter上でご質問をいただきました。


 3名で構成するちっぽけな会派です。「会派」という定義は、実は船橋市議会にはありません。


 「会派とはこういうものです。」と決まりがありません。ただし、会派と称して3人以上一緒にいれば、だいたいですが、議員として日常生活を送る場の約束事を決める会議である「会派代表者会議」に出席、発言ができますよ。というルールがあります。


 また、本会議運営上の約束事を決める会議である「議会運営委員会」に出席、発言ができますよ。というルールがあります。


 さらに、船橋市議会の広報、公聴のことについて話し合い、決定をする「広報委員会」に出席、発言ができますよ。というルールがありまして、3人以上の会派を便宜的に「交渉会派」などと呼ぶ場合がありますが、この数字は、それぞれの議会によって違うようです。5人以上だったり、2人以上だったりとその議会の成熟度をあらわしているのかもしれません。


 さて、私は今回の選挙後に会派を構成するにあたって、いろいろなお話がある中で、最優先にしたことは「議会のあるべき姿―その理想像」を自分なりに考えました。過去4年間は、議会運営委員長、議長を務めさせていただき、議会のあるべき理想の姿に近づけるために努力をしてまいりました。


 それはある意味、私が考える理想像であって、他の方と考えを異にしていたものも少なくありません。従って、現在考えていることも、多数の意見としてまとまるものとそうでないものとが混在していると思います。しかし、過去16年間の議員生活の中で、真剣に、マニアックに「職業議員」を極めようと努力してきた私の結論は固まりつつあるのです。それは、過去の議会構成からはじまって、それぞれ個々の議員がどういう発言をし「議会観」をもっているか?有権者を含め、一般の市民国民の政治に対する「感情」はどういうものか?等々を勘案して考え続けてきました。おかげさまで他の市議会の議員さんとの交流もさせていただいておりますので、全国の状況、情報も入手しやすく、全国的な傾向もつかめる環境にあります。そんな中で、選挙の洗礼を受ける「候補者」心理もまた勘案しなければなりません。


 それらをすべて総合的に考え合わせた集大成みたいなものです。そして今回の選挙直後から予想されたことは簡単です。


 議長の人事をめぐって、会派構成が行われ、しかもそのこと一点で一致を見るだろうと。実力が拮抗している議長適齢期の議員がいる場合には、普段からいがみ合っていても、憎しみ合っていても、「議長という議会の最高権力者」のポストの前には誰もがそれらの関係を乗り越え「強固に固まる」のです。


 そうです。「談合」が成り立ちやすい環境があるのです。

議長の任期というのは4年間です。しかし、過去の船橋市議会においては、議会役職を2年間で再構築をすることが全体で合意されています。従いまして、2年間で議長も交代することになります。もちろん再任は妨げません。


 しかし、船橋市議会においては、さらに合意事項とは別になぜか議長が一身上の都合で1年間で辞任するケースが多々ありました。

細かくは書きませんが、まあ、そういうことです。


 では、そのことによって、どういう事象が起きたかと申しますと、「議長の権威の低下」「議会の権威の低下」が目に見える形と、目に見えない形とでありました。


 市民の皆さんの不信感も含め、まったく有権者を無視した事象でもあります。もちろん私もそういう中にいた一員ですから、非難、批判をしてはいけないのですが、だからこそ、その反省の上に立って、自分ではそういうことを繰り返すべきではないという結論に至っているのです。


 なぜならば、1年交代で議長ポストが手に入るとなれば、「議員」という肩書きだけを確実に手に入れてさえいれば、そのポストが順送りで回ってくるのです。

 

 そうなるとどうでしょう?


 議会運営の勉強をしようがしまいが、議会の代表たる知識や品性などを備えるために自分を磨こうが磨くまいが、常識を身につける努力をしようがしまいが、関係ないのです。「議員」というポストさえ手に入っていれば。そうなると、議員というポストを確実に手に入れる努力ばかりをします。それはどういうことか?政治信条も確たる信念もなく、ただひたすら「大衆に阿る政治活動、選挙の事前運動みたいなもの。」ばかりに固執します。「売名行為ばかり」みたいな話もあります。


 もちろん、全議員がそうだなどと野暮なことは言いません。多くの議員さんはポストに固執することなく、市民のためにどうあるべきかを考え仕事を遂行しています。もっと言えば、公明党、日本共産党やもともと少数の会派しか組みようがない会派の方々は、議長ポストは保守系のものみたいな諦めのような雰囲気さえもあります。私は、議会の構成からして、第1会派(一番構成人数の多い会派)から順番に重要ポストの割り振りがあるべきで、それが民主政治の正しい在り方だと思っています。


 なので、話はそれましたが、保守系が一本にまとまる話があると聞いたときに、「それでは僕はいいや。」と当時の仲間に話をしました。僕を含まないで話を進めたらいいよ。と。議会改革をやるつもりのある人はそこに加わるべきではないという思いからです。

 「議長の1年交代の内々の談合が疑われる事象」は、旧態依然とした制度に巻き込まれる可能性が大きいからです。以前の会派では、そういう形から脱皮した安倍総裁の下の自民党の思想を受け入れていくような枠組みの話が出ていましたから、そういう動きになるものだと思っていましたが、若い議員さん方が選択したのはそうでなかったようでした。


 結局「改革」などといっているのは所詮は「ごっこ」の世界なんだな。と、残念な思いでした。


 僕はこの際はっきり申し上げておきますが、現在の船橋市議会では、日色健人議員が議長最適任者だと思ってました。議会運営に関する知識、政治に対する情熱、勘所の良さ、瞬時の判断力等々、若くて荒削りの部分はありますが、私の中での一押しは日色議員でした。しかし、その日色議員も、今回はいろいろなご事情があったのでしょう。自派の中村議長の誕生のために奔走されたようです。なので、推薦しようと電話をした時には電話にも出ていただけませんでした。後日その旨をお話をしたら、私からの電話に出ないようにとみんなで示し合わせていたそうです。よくよく調べたら、ある議員が指示をしていたようです。

 

 さて、話を戻しますが、大会派への一本化が進まないのなら、僕はたぶん保守系三会派程度に収斂されていくだろうと思っておりました。前期の仲間にもそのように話していて、そこから再編が進んでいくだろうから、その認識で進めたら良いと。ところが、話の進展の中で、「長谷川を排除しろ。」という話が出てきたのでそうしました。という結論だけをいただくこととなりました。


 あ~、結局、すべての議員が談合の枠組みに入ることを選択したんだな。という私の中での結論でした。それからは一切の活動というか「言動」さえも停止いたしました。私は、島田議員と話をし、どうもこれこれこういう状況らしいので、2人でやりましょうか。とだけ話をし、2人で会派を名乗ることとしました。


 但し、前述したように2人でのグループは船橋市議会の中では、そのときそのときの情勢によって議会棟の生活面での環境整備が行われるという不正常と感じる事案が多々ありました。そこで、最初の会派代表者会議に出席を求められましたが、文書を作成し、会派定義が明確でない中、特段の便宜を図っていただくことは、不要である旨をお伝えし、会派代表者会議のオブザーバー出席もご遠慮申し上げました。


 その後、NHKから国民を守る党の立花孝志議員からお電話を頂戴し、一緒に議会活動をということでした。


 事情を伺い、極めて真摯な姿勢で物事をとらえる方でしたので、島田議員に相談をして、3人で会派を組むことといたしました。


 前述しましたが、旧態依然の政治からは、距離を置くのがまずは会派の姿勢かなと思います。しかし、青臭い青年の集団ではありませんから、「清濁併せ呑む」政治の世界にも理解をするつもりです。さらには、議論は確実にする。正義を大切にする。とかですかね~。特に話し合ったわけではありませんが、3人で雑談していると、まあ、市政に対する考え方や政治に対する「向き合い方」はどこにも負けないと思いますね。