父が亡くなり、船橋市議会の歴史について語る方々も減ってきました。

更には、父がお世話になった藤代七郎市長のお孫さんが議員になる時代になってきました。父が勲章を賜った時に記した記録を掲載させていただき、私の父の側から見た船橋市議会や政界についてを残させていただきます。

 ご参考までに。ちなみにこれを書いた時、私は市議会議員2年生でした。



選挙活動 ー 思い出すままに

 第1回の選挙は冒頭に述べた様に無我夢中でした。昭和46年の第2以降は選対の人たちと様々な方法で票獲得の工夫をしました。当時はベニヤに貼った看板を縱に5枚位貼ったり横に長くしたり、目につく様に路地・路地に貼り投票前日に投票所近くに看板を移動しました。


 ポスターも何種類か作りました。ある時は学校の鉄筋化をスローガンに学校を背景に、またある時はポスターを三山36町会・自治会毎にその町会、自治会の町会長、あるいは自治会長の推薦をラベルに印刷して貼りました。これほどまできめ細かくポスター作戦を行ったのは私だけだと思っています。

 

 昭和50年の選挙の年は自衛隊に対する風当たりの強い時でした。私はあえて選挙公報で自衛隊に対する支持を訴えました。この時は明らかに自衛隊員の皆さんの票が沢山入ったと思います。5位、4,200票以上で7回の選挙で最高の順位でした。


 三山も派出所がありましたが廃止されていました。三山の人口も増え、治安の安定から三山住民の要望で、三山連合協議会もこの問題を取り上げ、私と一緒に土地探しをしていました。


 私も、色々な候補地をあげましたがなかなか決定しません。その様な時に選挙戦に入りました。


 選挙公約に、“三山町に交番設置を”をかかげました。選挙戦もたけなわになり、投票日数日前になりました。そこで、「三山町に交番設置」ポスターを作りました。御案内の通り、掲示板に貼るポスターは枚数制限があります。そこで、三山町に交番設置以外は何も記載しませんでした。


 文書を配布することは選挙違反になります。お金で買収したり、また物品を配ったりする事はいけないことです。文章のようなものについては形式違反で警告を受けます。ですが、勝つためには、背に腹はかえられません。夜、電柱に貼ることになりました。ところが、このポスター貼りが、多分他候補の警察への通報と思いますが、パトロール中のお巡りさんに捕まってしまいました。その人は選対の中心になる人でした。捕まった瞬間、心臓が飛び出しそうだったと事務所に帰ってから話していました。


 その人は捕まえたお巡りさんに、このポスターを見て下さいよ。私達は三山に交番を作る運動をしているのです。三山に交番は必要だと思いませんかと言ったそうです。


 お巡りさんは、ポスターを見てはがして帰りなさい、と注意をしただけだったとのことでした。はがして急いで逃げてきたと事務所へかけ込んできました。住所氏名を調べるため、免許証を出すようにと言われないかとビクビクしたそうです。


 また、選挙違反についてはこんなことがありました。選挙の告示の当日、市役所でくじを引いてポスターの貼る位置を決定します。そして、我々が三種の神器と称しているのぼり、許可証を渡され、所管の警察へ行き宣伝カーが市内を走る許可証を渡されます。50年位までは宣伝カーを当日持って行き、高さ、看板の大きさ、スピーカーの位置など警察官の検査を受け許可されました。現在は候補者も多く、告示当日に検査をしていますと宣伝カーの許可が遅くなり、選挙運動に支障をきたしますので、事前に検査をするようになりました。告示当日は許可証を渡す事務作業のみとなりました。役所と警察の手続きはいつもベテランが行きます。私の事務所は、選対事務局長の千葉さんが行きます。千葉さんは非常に真面目な人です。警察で許可証を渡される時に、選挙事務所の正面に、外に向けてガラスにポスターを貼るのは違反なので貼らないようにとの注意を受けて帰って来ました。


 ところが、選挙事務所は皆さんご存知のように、勢いよくにぎやかにポスターを貼ってあります。千葉さんは警察で注意を受けたのでポスターをはがすように言いました。事務所の人にすれば全部の事務所で貼ってあるのではがす必要はないと頑張ります。


 千葉さん曰く、長谷川候補は違反はしない人だと主張します。事務所は選挙は勝たなければ駄目だと主張します。そこで、私は船橋市選挙管理委員会へ電話をして、宣伝カーの許可証受領の際に事務所のガラスにポスターを貼らないように注意を受けたが、どこの事務所でも守っていないのは違反ではないかと述べました。


 すると選管の係員が東警察署へ電話して下さいとのことでした。東警察署へ同様の趣旨を電話しました。係官に、誰方ですか、そして住所を聞かれました。私は候補者ですと申しますと、係官が、長谷川さん、市民はよい候補者か悪い候補者かよく知っていますよ、との答えでした。私は「事務所のガラスにポスターを貼ることが違反かどうかは市民はほとんど知らない、私の事務所のみ貼らないのはおかしい、各選挙事務所に警告してくれ。」と言いました。後日、立候補した議員に聞いた所、警告があったとのことでした。しかしどの事務所も守らなかったようです。「良い候補者なので当選」出来ましたが複雑な気持ちでした。


 選挙違反には実質犯と形式犯があります。取締りは難しい面があります。形式犯は逮捕の対象になりません。警告だけです。重なると警察へ呼ばれて注意あるいは始末書です。


 実質犯・・・これは金品を配ること、飲食を提供することですが、金の場合は5万円以上、飲食の場合はしばしば行うと警察がおとり捜査、市民に化けて供応を受け逮捕します。

 

 私たち研政会はクリーンな選挙を旗印にしていました。ところが酒を配ったり辞書を配ったりする候補が現れました。クリーンな選挙をして、私たち研政会が買収によって票を取られてはたまりません。その中に、研政会の支持者にも品物が届くようになりました。そこで柿島、佐藤、仲村、長谷川各議員が相談し、警察に抗議することにして、警察の幹部を呼びました。研政会の支持者のところで集めた酒と辞書、かなりの数を警察の幹部に提出して逮捕するように要請しました。


 警察幹部は、逮捕しましょうと確約してくれましたので私たちは、皆ホッとして解散しました。ところがいつになっても、新聞の記事になりません。警察に事情聴取された気配もありません。


 そこで先日の警察の幹部に連絡しますと、あの候補者は市民のために役職を持っているので相殺されて不起訴になるので駄目ですとの答えでした。


 よく言われますが落選すると逮捕される、当選するとよほどのことがない限り逮捕されないと。これは、若し当選した議員を逮捕した場合裁判の結果、無罪になるとその間市民の選択を受けた議員の活動が出来ない。逮捕者が多数の場合、補欠選挙になる可能性もあります。警察官の定員不足により、業務多忙。また、選挙違反の場合、全部裹を取らなければならないので事情聴取などに長期間かかる。それが年末年始にかかると歳末警戒などにも支障をきたす。警察官の正月休みが取れない等でなかなか大変とのことです。


 笑い話ですが、ある違反者が、あまりどんどんしゃべるので警察の方でも困り弁護士に、年末に向かって大変なので違反者にあまりしゃべらないように依頼されたと聞いたこともあります。


 しかし最も悪質なやり方は、候補者を個人攻撃するビラです。女性問題、個人嗜好、酒等々中傷とデマには、警察はもう少し取り締まってほしいと思います。選対から警察へ申し入れしますが、ビラの一部に真実らしきものがあると取締りは難しいそうです。

 

 そういたしますと候補者がビラ作成者を訴える以外ないと思います。中傷ビラは発行所などデタラメが多くなかなか難しいものです。つい最近の選挙でもこのようなビラが小型トラックー杯運び込まれた選挙事務所もありました。


 それは金目当てでした。私も会派代表のときにある選挙で私の会派の人が逮捕されました。2回ほど、拘置所に激励に行きました。無事帰って来ました。一席設けた席上、警察の取り調べに対しては黙秘することが一番よいと話していました。


 2週間黙っていれば帰されるとのことでした。私の経験ですが、ある選挙で仲間十数人と一緒に取り調べを受けました。


 1期生から順に警察に呼び出しを受けました。私は5期生であったので大分おそく呼び出されました。長谷川さん警察ヘ10時に来てくれませんか、と。10時までに行ったところ控室で、もう何期やっているのですか、派閥はとこですかと10分以上、雰囲気よく話しをしました。取調べ室に入るとき黙秘権のことが頭をよぎりました。しかし控室で口を聞いていて取調室で黙秘は出来ませんでした。ちょっときて下さいの一言で、朝10時より夜9時までお茶一つ出されず、取調べを受けました。黙秘は難しいと実感しました。


 いずれも私の選挙でないのですが、取調べは2、3度受けたました。私は選挙に燃えますし、選挙運動が好きです。昭和42年4月以降、県議選や市長選、衆参議員選挙などを議員引退するまで先頭に立ってやりました。


 最初の選挙は昭和42年臼井荘一先生の衆議院選挙でした。当時、船橋の選挙責任者は市議会議長の藤代七郎氏でした。議員は私と宇佐見正巳氏と2人でした。


 宇佐見先生は事務所で指揮をとっていました。宣伝カーが船橋へ回ってくると、私が市議の肩書で街頭演説の前座をつとめました。


 初めての応援演説なので終わってからは反省材料がいっぱいでした。昭和43年に自由民主党から渡辺一太郎氏が参議院に立候補しました。我が会派研政会も応援させられました。候補者が船橋へ来る時は数力所も演説会場を設けて市議が前座で演説しました。

 

 ある時県議の滝口進先生が会場へ見えて、1年生か、俺が聞いててやるから順番にやってみろと言われた時にはまいりました。例の調子で批評されたらと思いうまくしゃべれませんでした。


 応援演説も慣れてくると面白くなり、早く自分の順番がこないかなとも思うようになります。臼井荘一先生の衆議院選挙のときでした。


 八幡駅で電車を待つ乗客に、臼井先生が支持を訴えている中で、臼井は自由党の副総裁川島先生ほど太いパイプはありませんがと発言しました。演説が終わってから、あんなこと言ったら票はとれませんよと申しましたが、私はこんな誠実な臼井先生が好きでした。


 古和釜幼稚園で臼井先生の個人演説会を開いた事があります。もちろん前座で臼井先生は各所を回って時間が多少ずれると言われていましたので適当につないでいました。


 あまりしゃべる事がないのでまだこないからいいやと「皆さん臼井先生は頭の毛は薄いが、人情は厚い」と言ってわかせました。その時ふと見ると臼井先生が入ってみえました。演説が終わって、先生が寄ってきて光った頭をつるっとなでながら長谷川君あれは少し言い過ぎだよ、と言われました。若気の至りでした。臼井親子は本当に誠実だと思います。それがほんとうに魅力なのですが。


 臼井日出男先生の衆議院選の時でした。津田沼駅頭で演説会をやることになりました。皆さん御案内の通り各種の選挙で津田沼駅の階段の上は候補者の銀座通りになります。臼井先生に階段の上でやりましょうと言いますと、臼井先生は「自由民主党が駅構内で選挙運動を禁止する法律を作った。作った人が破ってはいけない」と、下から駅頭にマイクを向けました。八幡駅頭そして津田沼駅頭、こんな臼井家が好きなんだと思います。