行政運営というのは、私は合理的かつ論理的でなければならないと考えます。


 せっかく、新たに4年間の議席をいただき、さらには時間もいただきましたので、ゆっくりと「市政運営」について考えさせていただきたいと思います。


 私たち議員がそのチェック機能を果たしていくためには、そのため基準とでも言うのでしょうか?何を基にその事象、事案を考えなければならないのかというと、一番の拠り所は地方自治法になると思います。


 今回は、その地方自治法の1条から2条までだけを考えてみたいと思います。


 第一条  この法律は、地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする。


 下線を引きましたが、できてるかなあ~って思います。民主的にして能率的ですかね?健全な発達ってできてますかね?


 以前のブログでも書きましたが、「民主的」って?自分勝手な机上の理屈だけで、物事を進め、形だけのパブリックコメントを行い、民意は了としてる。と。


 議長在任中最後から2番目の議長報告がついこの間ありました。下記のような報告でした。



 私がなぜこの報告について気になるか?報告をいただいた際に、私の質問に明確にお答えいただけなかったからです。


 船橋市では、このような計画を策定するきには、一般的には会議体を設置し、素案を策定し、パブリックコメントにかけ、その結果を受け会議体で正式に「案」とし、市長の決裁を受け「計画」になります。


 今回、その最終形の「計画」に間違いがありました。


 私が瞬時に思ったのが、パブリックコメントにかけた文には間違いがなかったのか?素案には問題が無かったのか?です。

 

 なぜなら、一般的には、素案の段階で私たち議会への報告が行われます。そしてパブリックコメントが実施されて、最終的に決定されていきます。


 その流れは、これまた「私としては許し難い」のですが、「建前」では、修正しながら最終形に仕上げて行くように言います。が、しかし、一切修正しないと言っても過言ではありません。


 なぜなら、パブリックコメントも「市民の皆様に意見募集を行なったが特段大きな問題のあるご意見はありませんでした。」という市民の皆さんの意見募集を行なったというアリバイ作りのためのものであって、「パブリックコメント」本来の作業をしているわけではありません。

 

 その裏側は、市民の意見も聞こうともしない、そしてそれを拠り所にして、議会にも「パブコメの結果特段の意見もありませんでした。」という、議会突破の口実にも使います。それをまんま鵜呑みにする議会も議会ですが、事程左様に独善的かつ議会軽視の姿勢が根底にあるのです。

 話を戻しましょう。私への報告の際、「パブコメにかけた方は修正は無いの?」の質問に「チェックしていません」でした。


 前述したように、素案から最終形まで変更の意思無き素案ですからもし、最終形に間違いがあれば、最初から間違えていた事になるのです。


 ちょっとこの件は、長くなりそうなので今日はこの辺でパソコンを閉じます。


 続きも書いてまいりますのでご期待くださいませ。