子育て支援のあり方に関して危惧を抱いているのは私だけなのでしょうか?


私、今、「子育て支援」についてものすごく苦悩しています。私自身二人の子供を育て一人は成人し、一人は大学受験も終わったところです。

ここではその経験に基づいて言っているのではありません。

国が、あるいは、船橋市が行っている「子育て支援」なるものが、「政治家・長谷川大」としてどうなのか?ということです。


まず、現状の把握として、社会が成熟してきて、「男女共同参画社会」が言われて久しいです。

また、私たち自民党の安倍総裁は「女性が輝く社会」を言っています。

更には、「待機児童対策」なる言葉もここ数年メディアで見ない日、聞かない日はありません。ともすれば、子育て支援と言ったときに「待機児童対策」が真っ先に言われる傾向があります。


さて、社会が多様化し、生活の様式がそれぞれのご家庭によって全く違い、一日の生活サイクル自体もそれぞれの家庭によって全く違います。

しかしながら、いくつかの大きなくくりで分けて考えているのが「子育て支援」なる「政策」です。


それが子供を育てるということが、あたかも誕生から義務教育就学前の「子供の居場所がどこか」ということで分けられているように思います。

しかも、それがさらに3歳未満の分け方もでてきます。

どういうことかと申しますと、「就学までは家庭で」「3歳までは家庭で」というご家庭と、「生後も早い時期から施設で」というご家庭に分かれます。

そこで、3歳になるまでの家庭での子育てと施設での子育ての2つに分かれるのが最初の段階。そして、3歳を過ぎると「幼稚園」という教育機関に通いながら子育てを行うというパターンが加わります。


ここで最初に考えますのが、「手のかかり方」です。生後から3歳までの手のかかり方がある意味一番ですし、日本の古くからのことわざでも「三つ子の魂百まで」と言われていることもあり、3歳まではしっかりと愛情を注いで自分(母親)の手で育てようと考えている方々がいます。


一方、欧米社会では一般的になってきていますが、男女のキャリアに区別をつけない「男女共同参画社会」が確立されています。

従って「子供を育てる」という考え方も、あるいは義務教育の制度や生後からそこまでの制度も違っておりますから、本来は、日本の制度や慣習と同様に考えると全体像を見失うような気がしてなりません。

「男女共同参画社会」の一部だけがクローズアップされ、「女性が輝く社会」の上っ面だけを捉えて、「生後から子供を福祉施設に預けて働きに出ること。」とを一体で考えてよいのだろうかと自問自答をする毎日です。


別の角度から考えてみましょう。

日本という国は三世代同居が一般的でした。

それが、「個」を重視する欧米的考え方の流入によって核家族が当たり前の社会になってきました。三世代同居の時代は、「育児アドバイザー(おばあちゃま、おじいちゃま)」が家庭内におりました。そして、家族の助け合いの中で「育児」が行われましたので、施設入所は、ごく限られた家庭の子供たちだけでした。


ところが現代社会は大きく変化を始め、家庭内の育児アドバイザーがおらず、各種情報機器の発達により「育児情報」の氾濫状態も起きています。玉石混交の情報が巷に溢れかえり、むしろ子育てママの不安をあおるばかりです。そして身近に気軽に相談する相手がおらず、どうして良いかわからない状態。


それによって、一層のこと働きに出れば「施設で預かってもらえる」、「施設で預かってもらえば育児の不安も解消だ。」という感じのママたちも急激に増えてきています。


本来は、生活が困窮して「働かざるを得ない」家庭の子が、児童福祉施設である「保育所」に入所をしておりました。児童福祉施設の本来のあり方、目的はそういうものです。


ところが前述をしたように、女性の社会進出があたりまえの今、特に船橋市の施策において感じることが、「幹」となるものが無い。ということです。しっかりとした骨組みとでも言うのでしょうか?木の幹があって、枝があって、葉があって、その先に子供達の笑顔である「花」が綺麗に咲く姿がイメージできないのです。枯れそうになっている木の根に一生懸命水をやっているのだけど、なかなか元気にならない感じです。


更にもう一つの角度から考えます。女性の社会進出、就労をサポートするための支援という側面で考えたときに、それは「福祉」なのでしょうか?労働政策の領域と言えるのではないかとも思えます。福祉という言葉は当てはまらないのではと思うのです。それなのに福祉施設を「便宜的」に労働政策の一部に組み入れたがために、理由のつかない、収拾のつかない状態に陥っているのではないかと思うのです。特に都市部においての話です。


私は福祉というのは行政が最低限の助けをして、あとは本人努力に委ねるべきだと思います。そうしないと、税金をいくら納めていただいても足りません。

というか、多額の納税者のお金がある特定の福祉サービス受給者のところに多く行ってしまう。福祉という領域は限られた一部の市民の方のみが利用するべきものだと思うのです。しかも最低限の税金の使い方で。


税金というのはより多くの方々が公平に平等(使われ方)に再配分されるべきものだと思うのです。


福祉として始めたものは、「止めること(やめること)」はできません。

一方、できるだけ公平性をもって行う行政のサービスではありますが、その時その時の市民の方々の生活状況や日本社会の状況に合わせて、変化しながらもサービスが提供されるというのも一つの政治のあり方であると考えています。


私は、子育て支援を「福祉」「労働政策」「女性の生き方サポート」から、「家族のあり方サポート」や「家族の住まいのサポート」などの広い領域で考え、個々にそれぞれのマッチングとサポートをしっかりとしていくべきだと考えます。