さて、昨年のことを書かせていただきます。昨年、相次いで2件の議長への報告があり、議員各位に報告がなされました。
下段添付のようなものです。
昨年この種の議長への報告並びに議員への報告がどれほどあったか?
ということで、どうも噂によると、緊急部長会議が招集され、市長より叱責があったようです。

それで再発防止になるのでしょうか?
...なるわけがありません。
この報告って「他人事」のような感じがしませんか?

そもそも我々への報告がほぼ定型化しているのです。
まずは、原因を述べる。非常に第三者的表現で。

次に、迷惑をかけた市民の方あるいは当該対象者に対して行った措置を述べる。「やれることはやった」的表現で。

今後の対策については、「ダブルチェック、トリプルチェックをする」などと根本的な対策をとるような対策が講じられない。

今回のこの報告書を見てもわかるように「上司のチェック」が必ず入ります。
これがお笑いで、この上司たちのチェック機能が働いていないのが実態だから何度も何度も同じ過ちを繰り返すのです。
なぜこんなことを申し上げるか。

あまりにも瑣末で些細なミスが多発しているのでなぜかを考えてみました。
たくさん理由はあって書ききれないのですが、確実に確証をつかんだのが、本当は、「上司が何もやってない」ということです。

「印鑑を押す」ことの重要性が、一般社会とかけ離れているようです。
私が会社員になったとき、「会社の社印を押す意味」、「代表者印を押す意味」を徹底的に厳しく教え込まれました。
さらには「自分の印鑑を押す」ことも…ところが船橋市役所は違うのです。

「惰性」なんですかね?ある偉い人は堂々と「いちいち読んでいたらいくら時間があっても足りない。部下を信頼しているから」と。
そうです。決裁書類等への押印の話です。
短期間ではありますが、私のところに回ってくる決裁書を一字一句細かく見るようにしました。

まあ、「物の見事に不備だらけ」ってこれは自分の部下の話ですからあまり書くのはよろしくありませんが、まあ、そういう調子。
そうしたら敵もさる者です。普段は未決済の箱に放り投げておくものを、わざわざ担当者が持ってきて「急ぎなんですぅ~」って言うんです。「何?何?」って聞くと内容を説明する。で、「はい了解」って印鑑を押してしまう。するとチェックが効かない。って、まあ、自分のことを書きながら、自分ができていないことを言ってしまっているのですが、
「怒れない上司」が増えたようですね。

ただ、それ以前に、船橋市役所の書類の決裁の流れを聞いたら、ちょっと異常ですね。
異常だけど異常と感じられる人はいないんですね。なぜなら、社会人になったときからそのシステムで育っているから。
そしてそのシステムが細かな事故の誘発原因であることさえも気付けないのですね。
たかがハンコ、されどハンコ。
と言いつつ、実は私が申し上げたい本質から外れてしまいました。

書類にハンコを押す。
そのことを「了」としたよ。その書類の内容全てを「了」としたよ。ということです。そしてそれは「了」とすることに「責任」が生じることになるのです。

市長が緊急部長会を開催して説諭をしたって、叱責をしたって全く意味のないことにまだ市長は気付けていないのです。
副市長に権限を委ねたのは誰ですか?その部下に権限を委ねたのは誰ですか?
市長は市民から負託を受けています。ということは全市民に市政執行の責任を負っています。一方、その部下の人事は市長の権限で行います。ということは、副市長以下の部下の責任はすべて市長の責任であるのです。そのことの「自覚」を持たせるのが市長の最もやるべきことであり、それは市長の責任において徹底的に「自覚を持って仕事する」環境作りをしなければ同じことは繰り返すのです。最近これに類似することをしかるべき管理職者に申し上げると、手間暇かかってそんな時間がないとか「できない言い訳」ばかりをします。ということは、永遠に不祥事は無くならないということの裏返しでもあります。

話はハンコに戻りますが、以前、100個以上のハンコが押された書類を見たことがあります。そのことにも苦言を呈したのですが、「変えられない言い訳」でした。業務そのものを見直さない。見直そうとも考えない。そもそも論というのがありました。というか、そもそもを考えても、問題ないと判断するという組織、業務の流れがあるのかもしれません。
さてさて話が散逸してしまってまとまりませんので、また次回。

2015011101