広報とはかくあるべきでは?
http://www.city.katori.lg.jp/03government/section/kouhou/files/katorifankurabu.pdf
http://www.suigo-sawara.ne.jp/entry-info.html?id=37461
立派なものです。

以前から、ご指摘申し上げております我が市の広報。なんとかなりませんかねえ~。
この香取市は、手伝って下さる方は全員広報マンって感じでしょ。民間の皆さんの知恵や努力って、「公務員広報課職員」よりずっと効果的ってことでもあるんですよね。そのことをわきまえていらっしゃる。もっと言えば、船橋市役所でよく使う言葉「恊働」ですかね?

おしごと改革係さんは船橋市市長公室広報課のお仕事内容を徹底チェックしたんでしょうかね?
僕は、もう廃止しても良いと思っているんです。すべて外注した方が、費用対効果は大きく変化するでしょう。

先般も、ある県で「ブランド化」や「プロモーション」をご担当になった方のお話を伺いました。全く思想や受け止め方など違うんですね。更に申し上げれば意識も何も全く次元の違う世界。「何ともなあ」と思いました。

だいたい個人的に頭にきたことがあるんですが、それは新年最初の
Facebookの記事が大神宮の初詣であること。二宮神社の氏子総代として、日々の収入を気にする立場にある現在、まさに個人的ですが一方的に申し上げますと、「なんで大神宮の初詣にだけ誘導するような記事にしやがるんだ(笑)」と。

船橋市にある神社は、大きく分けて二つ。まさにこの意富比神社と二宮神社。更に簡単に申し上げると、県道船橋取手線を境くらいに兼務社(小さな神職をおかない神社の管理をしている)が分かれているのです。で、参拝客によるお賽銭やご祈祷の初穂料などがその神社の運営資金となりまして、そういう収入を増やす努力をしているところですが、あたかも船橋市公認で初詣は船橋大神宮へとやられてしまっては、非常に遺憾であると言わざるを得ません。

何を言いたいか?

広報というのは、「偏ってはいけません」などと野暮なことは言いません。
「民間の営利に関係するものを掲載していけません」などと野暮なことは言いません。
「宗教に関係するものは掲載していけません」などと野暮なことは言いません。
「政治に関係するものは掲載していけません」などと野暮なことは言いません。

掲載の仕方、表現の仕方など、工夫をするべきです。逆を言えば、「何でも乗せなさい。公序良俗に反しない限りは」。「見せ方、見る側の受け止め方を想定した上で工夫をしなさい」という感じでしょうか。

それより何より、「通り一遍の上辺だけの情報で、掲載をする事なかれ」と申し上げたいですね。一昔前、民間企業でも或は自治体でも企画、広報部門というのは花形部署でした。というか、今でもそうではないでしょうか?機能していれば。

機能させるためにすでに船橋市の組織上は重要な位置にあるのです。しかし、まったく機能していませんね。本来の広報として。或は世の中の普通の広報として。
なぜなら広報部門というのは、市政全般、市役所内全業務のある程度の深さまで充分に情報を持ち、分析もでき、効果的に外に向けて情報発信をしていくべきなのですから。それがまったくできていませんね。

だから、申し上げるのです。「廃止しろ!」と。

Facebook
を始めることが広報の仕事ではないのです。内容をどうするか?それを最終的に市民の皆さんがご覧になってどうするか?そのシステムができているのでしょうか?縦割り?広聴機能は「市民の声を聞く課」ですって言いそうです。昔は広報広聴課の時代がありましたね。

おしごと改革係さん、どうでしょう?今一度考えてみては。広報課職員の時間外勤務手当を含む人件費総額と外注した場合の比較ってなさいましたか?
早急にすべきですね。そして廃止、外注化。本来の広報の仕事は、まあ、名称を変えて、やる気のある者を持ってくることですね。