目利き番頭 船えもんとはこいつらしいっす。

071201

071202


商工会議所の懇親会にお招きいただき伺ってきました。
そこの席へ登場したのが「目利き番頭 船えもん」。まあ、どんな名前でも結構ですが、「ふなえもん」にしなかったのは「ふなっしー」のひらがなを意識したのでしょうか?
まあ、いずれにしても「ふなっしー」くんも、「目利き番頭 船えもん」くんもご活躍いただければと思います。

さて、商工会議所の総会後の懇親会に伺い、懐かしく思いました。
私は大学を卒業して、株式会社船橋ヘルスセンターという会社に就職を致しました。企業名はヘルスセンターですが、すでに「ららぽーと」開業4周年の年でした。

そのヘルスセンターはというと、インターネット検索をしていただくと、当時の写真がいろいろとご覧いただけるようです。
そして、私が入社した当時の株式会社船橋ヘルスセンターの代表取締役社長が船橋商工会議所の会頭でもありました。

実は当時、もともとヘルスセンターを運営していた会社は倒産状態にあり、三井不動産株式会社に一旦吸収合併される形をとり、新たに株式会社船橋ヘルスセンターとして再出発をしたという時期でした。
もともと、船橋ヘルスセンターの開設運営をしていた会社は朝日土地興業という会社だったと思います。

私たち当時の社員はそのように教えられてきました。
以前の私のブログ
http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-10098425714.html
などをお読みいただければと思います。

で、私は入社1年目はショッピングセンター事業部販売促進課という課で、ショッピングセンターに御入店いただいているテナントさまの売上向上を一緒になってお手伝いをするのがメインの仕事でした。ショッピングセンター全体の販売促進をメインに個別の店舗の店長さんたちや店員さんたちと日々お話をしながら来場者数の増加、売上の増加を目指しておりました。

開業当初から数年のららぽーとは「空ポート」などと揶揄されるくらい平日の来客数が著しく少ないものでした。従いまして、個別の売上増を目指すのもさることながら、来客数を増やさないのではどうにもならんということで、あれこれ様々な販売促進策を考えたものでした。

周年フェア、クリスマスフェアなどお買上額に応じて抽選券を差し上げ、「ガラポン」と当時言っておりましたが、海外旅行が特賞だった抽選会をやったり、文化の香りのするショッピングセンターを目指すと言って、ミニシアターを設置して、娯楽商用映画ではない、名作や教養的と言うかそういう要素の強い映画などを上映していました。その映画館では、市民選定委員ということで「島田たいぞう議員」も当時は市役所職員として選定委員として参画して下さっていた記憶があります。あまり入館者数が多くはありませんでしたが、少々時代背景的には今だったら良かったのかなとも思います。

さて、話がずいぶんと脱線しましたが、私の入社時から会社と商工会議所の関係が非常に深かった事に加え、その後の人事異動で中国のホテルプロジェクトの仕事をすることになり、開業時などには商工会議所の会員の皆様には大変お世話になったものでした。

それより何よりその中国のプロジェクトで、まだ契約だけをして、建設予定地がただの原っぱのときに激励にきて下さったのが現在の船橋商工会議所の伊藤会頭でした。当時は、ららぽーとの有力テナントの社長さんというお立場で、我が社の役員とは常にお話をいただいている立場でしたので、これからの中国を見るためにお越しいただいたのだと思います。

ということで、伊藤会頭には会社員時代から大変お世話になっているので、久しぶりに公式の席でゆっくりお会いし、お話しできた事は大変うれしく思いました。
今後は、私のできる事は何でも協力をしていこうと思っております。

まあ、市の経済部の弱さがある意味ネックですが、まあ、課長さんを中心に頑張って下さるでしょう。