前回のブログで書かせていただいた美空ひばりさんの「残侠子守唄」ですが、一生懸命、マジメに政治活動をし、日夜国家国民のことを考えている政治家にとっては、ついつい歌いたくなる曲だと思います。

私は、国家国民とは言いませんが、船橋市民、あるいは「人」が幸せになることを念頭に、「真理はどこか」「正義はどこか」と考えながら、物事の判断には常に慎重を期しているつもりです。

とはいえ、多数決で物事が決まる日本の政治の世界。このブログでも紹介しました。市原市の大先輩の議員さんに当選2回のときに言われた言葉、「議会とはウソと妬みで日が暮れる」もそうですが、誰がどう考えても多数を占める意見でも、あるいはどう考えても間尺に合わんとか、納得いかんとかでも、「数」で押し切られる嫌な世界です。

偽りであろうと、「偽」善であろうと、正義とかけ離れていても、まさに「寄らば大樹の陰」で、“横断歩道みんなで渡れば怖くない”状態が往々にしてあります。私が当選したての頃、28年間船橋市議会に籍を置かせていただいた父が「それが政治だ」と得意げに言ったのを鮮明に覚えています。

そこには一つの真理があります。それは政治家同士が切った張ったの世界で行う理不尽な結末への導きです。私もひよっこ政治家ではありませんから充分に理解できます。それは、勝った方にとっては正義であり、負けた方には正義ではないという世界です。どちらであっても、それぞれの理屈での正義ですから、まあ長谷川式な言い回しで言うと「どっちもどっちよ」ってことですが。

さらに、身近な政治の世界のことで書かせていただきましょう。
我々、議員のカウンターパートは誰よということを以前書かせていただきました。私たちのカウンターパートはある意味、行政の執行部門、言い換えれば市長です。そして、その補助職員であるいわゆる市役所の職員です。

冷静に、本当に冷静にその関係、あるいは信頼関係を考えたときに、政党、会派が数々あれど、基本的にはその業務に関しては「信頼」をしているのです。ただし、その軸足の置き方や、置く位置が政党間、会派間で違うというのが実態でしょう。何を言いたいか?

船橋市で言うと、職員は間違った仕事は絶対にしないという大前提の信頼関係です。絶対にしないというのは信頼し過ぎですが、まあ基本的には、その判断にも、公平性や公正性はもとより、より多くの市民の賛同を得られる判断をするであろうということです。

ですから政治の世界のように、
きょうび「寄らば大樹の陰」とかいう言葉が
巾をきかせているようでございます。
楽をしようとする心が、人間を
だめにするのじゃないでしょうか。


楽をしようとして、「考える」「備える」など過去を振り返り、現在を把握し、将来を「考える」、将来に「備える」という判断をしているでしょうね、と。まさか、他の自治体がやっているからうちもやる、他の自治体も将来に備えると言っているからうちもやる、なんてことはないだろうね、と。
船橋市民にとっては?を考えているんだろうね?
他の自治体との横並びの職員同士の信頼関係構築のためではないだろうね?

北の風吹きゃ北をむき
西の風吹きゃ西をむく


北風、西風を止めなきゃいけないときもあるはずです。南風、東風にした方が良い場合もあるはずです。

男の意地は どこにある
浮いた世間に 媚をうる
めだかみたいな奴ばかり


公務員の世界は、浮いた世間に媚をうることではありません。
以前ブログに書きましたが、
http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-11445930771.html
逢坂誠二氏の忌避政策についてです。

http://www.lec-jp.com/h-bunka/item/v260/01~05.pdf
からの引用です。


長谷川大オフィシャルブログ「まさる倶楽部」Powered by Ameba-1p

長谷川大オフィシャルブログ「まさる倶楽部」Powered by Ameba-2p

長谷川大オフィシャルブログ「まさる倶楽部」Powered by Ameba-3p

長谷川大オフィシャルブログ「まさる倶楽部」Powered by Ameba-4p

長谷川大オフィシャルブログ「まさる倶楽部」Powered by Ameba-5p

先ほどから書いている文脈とは間逆になる話です。
「多数決」で決めるべきではない判断についてです。この浮いた世間に媚をうることに徹したのが民主党政権ではなかったでしょうか?

一見、耳障りの良いことばかり。多くの国民の皆さんが3年間で気がついたのですが、そもそもが、耳障りの良いことを言って「選挙に勝つ」ことだけに徹した姿勢は、ある意味、国民を馬鹿にした話ではないでしょうか?

それでも私は、民主党を全否定はしません。選挙戦術に長けていたのでしょう。逆に自民党は長期政権の間に、国民の政治意識をあげることなく、傲慢に「俺たちに任せておけばよい」的意識があったことも事実でしょう。余計なことは詮索するな。とこの逢坂氏の話にあるような情報の開示と政府の実情を知らせる努力などは形だけしている感じでした。当然ながら国民の不信感も増すばかりでしょう。だからといって、国民に迎合することが真理でもありません。
そんなこんなに嫌気がさして仕事がいいかげん?

時の流れとでもいうのでしょうか。
自分さえよければという手合いが多すぎます。
まっとうに生きようとすればするほど
住みにくい世の中になったものでございます。

「自分さえよければという手合いが多すぎます」ね。
日本の古き良き伝統はどこへ行ったのでしょう?
日本の古き良き道徳観はどこへ行ったのでしょう?


声の大きい奴だけが
勝って得する世の中さ
男の道は 暗すぎる
どちら向いても 闇ばかり
どこに実のなる花がある

「声の大きい奴だけが勝って得する世の中さ」って思いませんか?
おいおいおいおい。どこぞの課長さんが「それはあんたでしょ!」って言いそうですが、違います。僕は声は大きいけど物理的に大きいだけで、実際に勝って得したことなどありませんから。
「明日は どの色咲こうともおれは生きたい おれの道」
ですね。あ~~~。