が、議会の一般質問で、引退の意思表示をしました。
まずは、新聞記事より。

YOMIURI ONLINE より

船橋市議会 勝手にe-報告 (長谷川大のe-通信簿)-yomiuri

公約破り、重みを日夜感じていた…市長引退表明
 千葉県船橋市の藤代孝七市長(69)は3日の市議会で、「市長の職に一定の区切りをつけるべきと判断した。市の現状を把握し、将来に向けた考えを持って施策を実行できる人に引き継ぎたい」と述べ、任期満了(来年7月18日)に伴う市長選に出馬せず、4期で引退することを表明した。
 瀬山孝一議員(自由市政会)の一般質問に答えた。
 藤代市長は1997年6月の市長選で、5選を目指した前市長の多選を批判し、市長任期3期12年を公約に初当選した。公約に反する4選目となる前回市長選では、景気低迷の中、安定した市政運営の継続を周囲から求められたとして出馬したが、次点との差は約4600票の辛勝だった。
 藤代市長は本会議終了後、報道陣に「公約を破ることになるので批判を覚悟で4選出馬したが、その重みを日夜感じていた」と語った。引退の理由については「安定した財政基盤を築くことができた。人口が増加する中で新たな課題はあるが、ここで身を引こうと考えた」と話した。後継については「今の段階で後継というのはないが、(市長選に)出てもらいたい人はいる」と述べた。
 5選出馬について藤代市長は8月の記者会見で「続投を望む声はある。12月までに出処進退をはっきりさせたい」と話していた。
(2012年12月4日13時45分 読売新聞)


ちばとぴより(千葉日報)

船橋市議会 勝手にe-報告 (長谷川大のe-通信簿)-tibatobi

 船橋市の藤代孝七市長(69)=4期=は3日の市議会で、来年の市長選について「一定の区切りをつけなければならない」と述べ、出馬しない意向を正式表明した。来年7月18日の任期満了に伴い、政界引退する。後継指名については「出てもらいたい人はいる」と語るにとどまり、具体的な氏名などは言及しなかった。
 「3期12年」の公約を撤回して2009年に出馬、当選した4期目について藤代市長は「財政基盤をしっかりしたものにできたことは良かった。あえて4期目を任せてくれたことの責任が果たせた」と実績を強調。一方で「公約を超えて市政のかじ取りを行ってきたことを、ずっと重く受け止めてきた」と、当選後の苦悩を吐露した。
 1997年の就任以降、人口は6万人以上増加。2003年には県内初の中核市移行を果たすなど、着実に県内第2の都市を発展させてきた藤代市政。この日、市議会一般質問で議員から続投を望む声も上がったが、藤代市長は「うわべだけでなく市の現状を把握し、将来に向けた考えを持って施策を実行できる人に(市政を)引き継いでもらいたい」と応じた。


さてさて、コメントすべきか否かを考えましたが、ある一つの理由から、私はあえて書かせていただきます。理由は残念ながら書けませんが、「許せない」外的要因によって、こういう結果になったと考えるからです。いくつかの事象を羅列させていただきます。

時系列に。

1)ある方と今後の市政運営について話をしました。そのときに、市長の政治姿勢についての話がありました。このときに、私たち保守系の市長系の議員が公約違反(いわゆる3期での引退公約)を許すのかという話でした。
私は以前このブログでも書いたことがあるのですが、

http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-11394589415.html
http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-11369258973.html
http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-11358529409.html
http://ameblo.jp/hasegawamasaru/entry-11151108152.html

と何度もラブコールをさせていただいていたのですが、これらの理由を述べ、この方も含め市民の方の問いかけには答えてきていました。しかし、世間はそれほど甘くなかったですね。このお話をした方は、終始公約違反の件を強くおっしゃっていました。

2)さて、その後のことです。随分世間の関係者は「興味をもって市政をみているな」と感じたものでした。もっとも、ある新聞に「今回の定例会でその進退を表明する」旨の記事が掲載されました。それと前後してでしたか我が会派の最長老議員が一般質問にエントリーしていました。

議会の慣例で言えば、「質問」→「答弁で出馬の意向表明」の出来レースが一般的でした。なので、今回も長老議員と市長の間で話ができていて、12月3日の本会議一般質問がその場になるものと確信していました。

3)11月30日の夜、友人と軽い食事をしながら雑談をしていると、ある方から電話。「共同電で市長引退の話が流れてますけど聞いてますか?」というニュアンスの問い。「いやいやあり得ないでしょう。うちの先輩議員が質問することになっているから、それに答弁で出馬表明でしょう」と言ったら、「周囲に語った」風の書きっぷりだよ、と。

4)電話を切り、慌てて電話を数本かけました。
出来レースのシナリオはなかったこと。
しかるべき筋には確かに情報がでていること。
早い人はしかるべき人に出馬打診をしたこと(断られた)。
3日の質問には「出るとも出ないとも言わない」答弁だという人。
ある人の振る舞いに嫌気がさして、一気にやる気が失せた。

5)上記の最後の部分が私には「充分あり得る」との確信がありました。

6)ただし、一方では曖昧答弁に期待した部分も。

7)2日の千葉日報で記事に。

8)ある方から電話が。「曖昧答弁もあるのでは」と答える。

9)週末にいろいろと考えながらも、淡い期待をという感じで過ごしました。

10)3日には、いろいろな方に会いましたが、「ある人の振る舞い」が完全なる確信になる言動を目の当たりにしました。

11)で、答弁。

緊張の糸というか、張りつめていたものが「プチ」って切れたんでしょうね。どう考えても市長の性格してから心の中までは読み切れないとして、でもわかります。ある方の振る舞いは。

市長、長い間お疲れさまでした。新聞で初めて年齢を知りました。
疲れちゃったんですよね。きっと。
「もうやってられねえや!」だったんでしょうね。きっと。

まあ、ひょっとして「オマエだよオマエ!」って言われちゃうかも(笑)。