まあ、難しいですね。
何度もこの場で苦言を呈してまいりましたが、とにかく議会の議員は一国一城の主。そんな中でも特に「一家言」ある人々の世界。市や町の縮図みたいなところでして、それぞれの支持者に支えられて議会に来るわけですから、それはそれは大変なものです。

初めて当選して議会に来る方々の多くは、「当選すれば皆平等」「同じ議員で期数(当選回数)なんて関係ない」「スタートラインは皆一緒」ということで、権利主張の甚だしい方がいらっしゃいます。別の角度で、知識や経験に関係なく期数による権利主張もあります。違うって!っていうのがわからないらしいのです。議会における「力学」が。

船橋市議会で申し上げると、50人の定数ですが、50人が50人それぞれに様々な考え方をもっています。そして、会派制と言って、政治的な思想信条をほぼ同じくする者同士で「派」を組みます。その際、経験豊富な、見識のあるオールラウンドな知識をもった議員がいる場合は、新しく当選してきた議員に「様々な教育」ができます。そして議会事務局職員や執行機関が話せない「話」も聞かせてもらえます。議員という人種の行動パターンはある部分では時代による変化などありません。いつの時代も同じという部分があったりします。そういうことは、いわゆる先輩議員からの「口伝」でしか当選回数の少ない議員には伝わっていきません。

更に別の角度から考えてみましょう。議会の中心はどういう会派でしょうか? 簡単です。最大多数を確保している会派です。議会とは、基本的にはすべてが「多数決」の世界です。「数が力」なのです。ところが、船橋市議会の歴史の中では、数の工夫をしていた時期もありました。本来同じ会派でも良いレベルの集合体でも、もう少し細かく会派を分けて、運営を戦略的に進めようということで、会派に「第一」「第二」などと付けていた時代もありました。最重要事項は一つにまとまろう。だけど細かい調査などは、少し別行動をとろうという感じです。そういう時代は会派名が違っていても、最重要事項の考え方は、協議をするまでもなく「あうんの呼吸」で進められました。

しかし、平成に入ってからですが、当選回数1回の議員だけで会派を組むケースがありました。それ以前にもそういうケースがありましたが、地縁や政党や政党派閥で当選回数1回でも「あうんの呼吸」が存在しておりました。

しかし、平成以降はどうも違う感じでした。自由民主党が長期単独政権で政権を担っておりましたが、それが様々なスキャンダル等で凋落傾向にあったときでもあり、更には人口が急増し、船橋土着と申しますか、船橋に古くからお住まいの市民と高度経済成長期に船橋市に転入してきて、すっかり、しっかり船橋市に馴染みはじめた新しい市民の方々の代表という感じの議員さんとが入り交じってきて、議会新人類というのでしょうか、古くからの地盤を持たない方々が、「耳障りの良いことをいう政治」をするようになりました。そういう「耳障りの良いことをいう議員集団」や、何度かの新党ブームで新党を支持するグループなど、議会の中心的な部分から外れる議員さんが増えてきました。そういう場合は、いわゆる「少数派」であります。

話は戻りますが、例えば当選1回の議員だけの会派では、「経験」「経験則」は存在しませんから、言いたい放題というか、不確かな情報に基づいて政治を語り合っていたと想像できます。なんせ経験者ゼロなのですから。

一方、政党政治が華やかりし頃、その趨勢は市政にも影響しておりました。自民党圧倒的多数の時代の「野党会派」の悲哀というものはいかばかりか、これまた想像ができます。そういう環境にあった方々でも、政治の変遷によって「保守系会派」の構成員ということになっております。

わかりにくい文章になっておりますが、最大会派(第一、第二などとあった場合は、その集合体)の政治活動や執行機関との関係と、少数会派のそれとは大きく違います。しかしながら、執行機関もバカではありませんから、どの会派も均等、平等に付き合っているように振る舞います。そこで、そういう事実に気がつけないバカ議員、アホ議員がいることも事実です。そういう議員に育てられる新人議員は悲劇です。そういうアホ議員、バカ議員に限って「自分自慢」が大好きです。そして、自分こそが議会本流であり中心であるような言動が目立ちます。

昔は、最大勢力主流派であり続ける議員が数多くいましたから、教育システムがきちんとできていました。またそういう議員は、引き際もわきまえていました。ですから、今は数が少なくなって、逆に引いてもらっては困るくらい、人材不足になっております。

まとまりませんが、過去の経験を踏まえて、重要なポイントでどう振る舞ったら良いかをきちんと勉強できていない議員が増えてきて、先輩議員も難儀しているようです。先輩方の苦労もそうなのですが、私くらいの中間管理職的立場でも、育ち方の違いを大きく感じる今日この頃です。困ったものです。まあ、個人の「人格」にもよりますけど。