過去3回にわたって、「平成24年第1回定例会を終えて」というタイトルで議会への出席者の身体と時間の拘束について書きました。

なぜこういうことが起きているかを考えてみましょう。
まず最初に書いたブログの件、議場への出席者についてです。
これは、詳細を調べていませんから正確ではありませんが、地方自治法上問題ありの部分と思われる部分を書いておきましょう。

第百二十一条  普通地方公共団体の長、教育委員会の委員長、選挙管理委員会の委員長、人事委員会の委員長又は公平委員会の委員長、公安委員会の委員長、労働委員会の委員、農業委員会の会長及び監査委員その他法律に基づく委員会の代表者又は委員並びにその委任又は嘱託を受けた者は、議会の審議に必要な説明のため議長から出席を求められたときは、議場に出席しなければならない。

再び地方自治法第121条の引用ですが、私の知る限り、公平委員会の委員長が出席したところを拝見したことがございません。で、委任か嘱託をしている人が誰なのかもわかりません。これってヤバくない?って思うけど、まあ、我が市は議会に対してその程度の感覚なんだなあ~と。議会は議会でその指摘をしないところがこれまた間抜け。なので今、このブログを通じて遠回しに言ってみます。

さて、それが本論ではありません。
本論は、市長、副市長をはじめとする職員各位の身体の拘束をいいかげんやめてあげましょう、ということです。議会側もそうですが、議長、副議長などの議会幹部を拘束するのも減らしましょう、ということです。

その第一歩として、議会開会日は、執行機関が工夫さえすれば、「時間が読める」体制に今回の第1回定例会からなったと思います。むしろこれが普通のような気がしますが…。

そして、それ以外(第一日目)にも、市の幹部職員ほか上級職員の拘束を極力減らしましょう。という議会日程とルールにすべきです。

だいたい、議会を傍聴している人にはわかると思うのですが、「平成24年第1回定例会を終えて」シリーズの最初に書いた議場出席者概ね37名のうち、質問内容の業務を理解していて、「原稿の棒読みではない」答弁者は何人いるでしょう? 数人です、数人。だから、彼らが議場で答弁することは、まったくもって無意味なのです。課長があるいは課長以下の部下が書いた原稿をただ読むだけ。「発声装置」とでも言いましょうか。それとも「答弁装置」の方がいいですかね。発声装置の方が適切な表現ですね。

これを「永久に残る議事録に記載になるので、正確を期すため」ということを理由にするオバカさんがいます。それは実は理由にはなりません。なぜなら、発言の訂正はいくらでも認められます。「ケアレスミス」であればですが。主要な要旨、趣旨は訂正できませんが、答弁というのはそれらの意味合いであればよいのですから、原稿の棒読みはいただけません。

議員側も原稿の棒読み、答弁者も原稿の棒読み、それだったら予め議場に配布して終わらせるとか、プロジェクターとスクリーンを用意するとかして、映し出すだけでもよいでしょう。あまりにも議場にいる他の人々を愚弄する行為だと思います。これは書いたように、答弁者のみならず、質問者もまったくの同罪であります。そういう時間のムダは本当に排除したいですね。そうすれば、身体と時間を拘束されている感が和らぐと思います。

ですから、議員の側は、バカだろうが何だろうが、選挙で選ばれたのですから仕方がありません。職員の方は、自分の言葉で答弁できないものは答弁しなくてよいし、本当は肩書きを与える必要もないですよね。

本来、部長級は議会対応が仕事のほとんどであるべきです。この最後の部分は乱暴でありますが、でも本来はそうあるべきだと思います。だいたい、各課長が優秀で仕事が回っているのが船橋市役所の実態です。だから部長級は、議会のフロアでもウロウロして、お茶でも飲みながら、議員各自が自分の部の仕事をどう思っているか、どういうこだわりを持っているかなどを、さりげなく探ったりすべきなのです。それが全然できていない。それらを課長に落としていって、条例改正、事業企画、事業実施や予算編成などに生かすべきなのです。それがまったくできていない。ダメですね~。