に出席させていただきました。
この会へは、私は自衛官募集相談員としての出席です。

船橋市出身の自衛隊入隊予定者が、その旨を市長に報告をする会です。
市内各所に在住の若い諸君が自衛官をめざし、難関の試験をくぐり抜け、その志高く、入隊を志願してくれました。

最小年齢は私の息子と同じ15歳だと思いますが、高等工科学校入学が決まった男子で、多分ですが、最高年齢は防衛大学に入学が決まった男子だと思います。次第に従って、市長の挨拶、防衛省の地方協力本部長の挨拶の後に、私が募集相談員を代表して挨拶をさせていただいたのですが、なんと、不覚にも、涙が出そうになり、言葉に詰まってしまいました。

東日本大震災から一年が経過し、当時を振り返り検証するテレビ番組が盛んに放映されていますが、私は、あのときの自衛隊、警察、消防の各隊員諸氏の奮闘ぶりには心の底から敬意を表したいと思っております。更にはその隊員各位を送り出したご家族のご心配を慮ったときには、もう涙が止まらなくなるのです。最近、もうこの自衛隊、警察、消防の三組織の話は、聞いただけで涙が止まらなくなるというどうしようもない現象に見舞われております。

そして、更に申し上げれば多くのボランティアの方、議員さんも現地に入ったようです。私はまだ踏ん切りがつきません。現地へ行く自信がないのです。写真を見ただけでやるせなくなる状態なのに、現地へ行って何ができるんだろう。現地へ行ってどうすればいいんだろう。と考えると、どのタイミングで現地を訪ねるのがベストなのかを判断しかねております。地方議員がこの東日本大震災と向かい合うというのはどういうことになるのかということです。

阪神大震災のときは、明らかにその意味は明確でした。日本全国の地方議員の多くがそうだったと思いますが、復興途上に訪問することは控えようという空気。復興は、国を中心に行われるだろうから、その邪魔になるようなことはすべきではない。そして完全に復興に向けて動き出したときには、しっかりと現地の経済への貢献をしよう。ということで、おおよそ1年後ぐらいから公の機関などが主催するシンポジウムや勉強会などが行われ、ぜひ現地でお金を使ってくださいという感じのことが行われ、地方議員がこぞって訪れました。そして、しっかりと防災の意識を高め、震災の経験を生かし、各種計画や準備をはじめ法律の整備などが行われるようになったのです。

そういうことを考えあわせると、そろそろなのかなあ~とは思いつつ、阪神とは段違いの被害であることは明白で、まだその時期に非ずなのかとも思うのです。ただし、先般もブログに書きましたが、都内で仙台市議さんと食事をしながら話を伺った感じでは、そろそろ仙台市の議員さんを訪ね、お話くらいは聞かせていただけるのかなという感じです。

さて、話が外れましたが、この自衛官への志願者が、我が国の国防を担ってくれ、更にはこのような災害時に、その職務に邁進してくれることを考えると感無量でした。純粋そうな瞳に、凛々しい姿。我が国の未来は安泰だと思います。がしかし、政治がダメだ政治が。何とかならんものでしょうか?