ここ数回、我が船橋市議会の議会改革についてブログを書かせていただきました。船橋市議会も踏み出し始めました。しかしながら、大変重い課題でもあるのです。

一言に議会改革と言っても、そうそう簡単ではないのです。戦後日本の「民主主義教育」が「そういう風潮」を生み出しているのですが、果たしてそこまで熟しているのか、というのが私の率直な気持ちです。

はっきり申し上げますが、我が国の「民主主義」とは「衆愚政治」そのものではないか。ということです。民主党政権になって様々なことが起きました。それ以前も「おかしな政治状況」だらけでした。もちろん私が所属する自由民主党の政権も、政治の状況はおかしかったのです。

しかし、そのおかしな状況を生み出す根源は何なんだろうかと考えたとき、政治的成熟度が低い有権者そのものではないのか?ということです。メディアの論評を鵜呑みにする生真面目さは、ある意味評価に値するかもしれません。しかし「自身で政治を考える力、判断する力・知識の修得」を教育に組み込んでおらず、むしろ教職員組合の所属教諭による気づかぬ間の思想教育が行われていたりします。その異常さに気づいていません。メディアリテラシーも必要だし、ポリティカルリテラシーとでも言うのでしょうか? 物質的には裕福になった日本ですが、まだまだ政治的には貧困そのものと言えるでしょう。

更には、有権者に責任転嫁する政治家だってお話になりません。政治の信頼を獲得すべく努力を怠ってきたツケであると言えるでしょう。そこは我々も反省しなければなりません。そもそも、政治的無関心状態を生み出させたのは誰でしょう。
たぶん、戦後の政治の中心にいた人たちでしょう。そして、最近まで断続的に行われてきた政治家による不祥事の数々。ですから、今回初めて当選してきた議員さん方は、以前から議員を務めている我々イコール「悪」のようです。残念極まりない話です。

ある議員さんのブログだかTwitterには、2日しか議会をやらないで報酬を満額もらった。これはおかしい。たいした仕事もしないのだから報酬など不要だろう。更には、議員はボランティアで良いだろうと。

はい。世の中に見えている議員の活動はその程度でしょう。しかし、議長、副議長の役職に就任すると完全常勤職員状態です。前向きに仕事をしようとしたら、ヒラの議員でも毎日市役所へ行っても時間は足りません。そういう意味では、ある新人議員さんはほとんど毎日市役所へ来てレクチャーを受けています。これは立派。それを自分たちの勝手な知識で市役所の仕事を評価している「愚か者」も多いようです。

まあ、議員の活動は自由ですから、何をどう判断し、何をどう言おうと勝手ですが、ろくな仕事もせずに、議員全員が自分と同じであるがごとく吹聴していただいては困りますね。

さてさて、そういう事象を考えてみると、「議員の仕事」が見えないことが大変問題であることがわかります。そういう部分では、広報委員会の常任委員会化、定数増は良いことだと思います。今時のはやり言葉で言うと、議会の仕事をできる限り「見える化」することですね。そういう意味では、需要がなくても、あるいは少なくても、一つのキーワードは「原則公開」です。簡単に言うと、何事も出発点は「原則公開」とすることです。今までは、「慣例により」がほとんどです。

次に、見せるだけではいけません。船橋市議会では「?」「??」だらけだからです。というより、政治の世界自体が「?」「??」でしょう。というより、行政も「?」「??」です。

自民党が「Cafe Sta(β)参議院予算委員会実況放送世耕弘成」という議会の解説番組をインターネット上で始めました。こういう、議員側の努力も必要になってくると思われます。議会としての公の「見える化」と、もう一方の当事者でもある議員個々が「見える化」の努力をする必要もあるでしょう。ありのままを公開して、しっかりと判断していただく努力は必要です。あちこちで見える化が進めば、議員の側もいろいろと考えることが出てくるでしょう。

今は、ひどい議員になりますと、あまりにもくだらん質問をインターネット中継に映るためだけにする人がいます。何度もこのブログでも書かせていただきましたが、担当課長のところに行って「ちょっと課長教えてください」って言えば済むことを、議場で50人の議員の時間をとってまでするアホ議員が数人見受けられます。困ったものです。ああいうことをやれば、市民に「くだらねえ~」と思われたり、「市議会ってレベル低いね」などと言われる原因になったりして、議会全体の名誉にかかわる事態になるということがわからないようです。わからないからこそやるのでしょうが、それをとめられない他の議員も議員だと言うことになり、私も反省をしなければなりません。

じゃあなぜ、インターネット中継に映る努力ばかりをするかです。まさに、前述した「大衆におもねる」ようにして、人気投票的選挙で当選するための努力の一環でしかないのです。恥ずかしいという気持ちなどないようです。

と書いていると、こういう意見が聞こえてきそうです。

大衆におもねる政治家は駄目だっていっても、民主主義が人気投票的性質を持っているかぎり、政治家は大衆におもねって口当たりのいいことを言うわけで、これは民主主義の限界なんじゃないか?

ある方のツイッターのツブヤキの引用をさせていただきました。まさに冷静に日本的民主主義をあきらめの境地で達観していらっしゃる感じです。当事者でもある私としては、「まあ~、ねえ~、おっしゃる通りですが悲しいものです。」って感じです。

インターネット中継に次いで、もう一つが広報紙です。広報紙に載るために議会でしょうもない質問をする。ということです。議会の予算で年4回自分の名前を市内全戸に紙で配布をしてくれる。こんなにありがたい選挙運動はないと。

どうも本題とはずれてきている感じですので、きょうはこの辺で。