ってなんざんしょ?
私はべつに閉ざしてもいないと思うのですが。

先般、一般選挙後の初議会の際、議長他の役職を決める際に、議長の所信表明をさせて選挙を行うという提案があったそうです。それって何?って感じだったのですが、まあ、最終的には「所信表明」はありませんでした。

それをやって何になるという話だと思います。民間企業だって、ディスクロージャーが言われても、さすがに株主総会で経営方針などを述べさせて
人事案件を決定することなどあり得ませんし、その経緯を説明しろなんてことも皆無だと思います。議会も同じだと思います。

私の前回のブログ「議会のお作法 」でも記述していますが、議会の役職は議会の中で決定します。
仮に議長になりたい議員がいたとします。そうしたら、その議員は、法定得票数を超える票を得るための努力をします。更に当選するための得票数を確保する努力をします。

それは、議員個々人に自分がどうして議長になりたいか、自分がどんなに議長に相応しいかなどを説明したりして、得票できるように話をしていきます。そして投票をしてもらうのです。そこに何の不都合があるのかが理解できないのです。このことが閉ざされた議会なのでしょうか?

そもそも所信表明をして誰に聞かせるのでしょうか? 議場にいる議員? そこまではわかります。あとは誰? インターネットの中継を通じて世界中の方々に? あるいは傍聴席において傍聴をしている方に? 市民かどうかもわからない傍聴者の方のために?
で、インターネット中継を見ている世界中の人が、傍聴席にいる傍聴者の方が、議長選挙で投票ができますか? できません。自民党の総裁選挙、民主党の代表選挙などは党員が数多くいますから、使えるメディアを使って候補者の政策などを述べ合います。それらとはまったく異質なのが市議会における議長選挙です。それ以外の委員会の選挙などもそうです。

「開かれた議会」を勘違いしている議員さんが多いようです。「市民に開かれた、わかりやすい議会」を体現するのなら、議員個々が、きちんとした広報活動をするしかありません。私は、夏休み、春休みに大学生のインターンシップのお手伝いということで、学生さんを受け入れてきました。その活動の中で、実際に議会を傍聴してもらいながら、解説をしてきました。

過去の歴史の中から考えあわせても、会議公開の原則というものがありますが、船橋市議会もその原則論にのっとって、本会議も、委員会も傍聴が可能になっています。市民の方々をはじめ広く居住地にこだわらず公開をしています。「開かれて」います。そして、市民の方々に関係する議案の審議をはじめ、それらの記録も公開しています。

さて、議長選挙の話に戻りましょう。仮に、百歩譲って所信表明をしたとして、それを参考に議長に相応しい人を議員個々が判断して投票することがあるのでしょうか?

日本全国、たぶん限りなく100%に近い地方議会が「会派制」をとっていると思います。「会派制」とは、政治的に主義主張が同じ人たちでグループを作る仕組みです。国会の政党の枠組みで会派を組んでいるケースとそうでないケースがありますが、概ね、同じ政党色が出てくるようです。これは何事も議会の決めごとが多数決で決める関係上、ある意味では便宜的にまとまっていると、多数をとった会派が自分たちのしたいことを実現しやすいのです。また、総論賛成各論反対の場合があったり、総論反対各論賛成もあったり、脅し、透かし、妬み、妥協など様々なことばで表現する行動があります。

それでも、その街をよくしていこうという考え方は、概ね議会の議員全員が持っている気持ち。ただし、優先順位、物事の途中の手続きや経緯経過などにおいて、考え方を異にすることが会派間の賛否を分けているケースが多いのではないかと思います。

最近のというか、昔もそうでしたが、「独りよがりな、個人主義者」は会派には所属しないようです。また、「世間知らずで、独りよがりの人」達で会派を組むケースもあるようです。特に多いパターンは新人議員だけで旧来議員を勝手な思い込みで否定しているケースです。これは手に負えません。だいたい横並びで1年生議員のときはよいのですが、地元支持者の手前、議会役職が欲しくなる頃にはしっかりと犬猿の仲になります。これは一般社会でも同じだと思います。普通の会社でもあることでしょう。

しかし、若手の議員さんで、人事の争いなど関係ない段階で会社を辞めて議員になった人や、学校を出てから自営業などで、「勤め人」の経験が浅い人は、そういう人事の機微や、人間関係の難しさを知らないまま勝手気ままに育ってきていて、自分が正しいと思い込んでいますから始末に負えません。独善的というか、なんというか、そういう人種がこれまた多いのが地方議会の特徴かもしれません。

まあ、話がだいぶ外れましたから、もうこの辺にしておきます。