まったく違う視点の話を少し。

最近、待機児童の話から始まって、いろいろと考えさせられる話があるのですが、中国のことを考えてみたら、社会性や民族性や現代史や、といろいろなことが入り交じっているのでしょうが、「完全男女平等」だったなあ~と思い出しました。

しかもいろいろな家庭に招かれごちそうになったことがあるのですが、町の食堂よりもずっとおいしい。だけど、全員共働きなのでここの外食率が異常に高い。

私のいた会社も、従業員食堂があり、朝昼晩と食事がでました。全食事を食べる人も多かったような気がします。で、町のレストランなどに行くと、老若男女問わず、わいわい食事をしている。職場だったり、仲間だったり。その際の女性の比率も日本に比較して多いような気がしていました。言い方がおかしいのですが、とにかく女性がよく外食をしていたのです。

一方、会社内ではと言うと、まったく差別なく、役職や仕事の任され方も男女同一。もめ事もものすごくありましたが、まったくイーブンな戦いという感じ。強いんですよね、中国の女性は。って思いました。

で、子どもがいるかどうかを尋ねると、だいたい子どもはいて、祖父母が面倒を見ている。という感じ。決して保育園みたいな児童福祉施設は多くはないのでした。当時は議員になって、子育て支援を考えることなんて想定もしていませんから、そういう目で見ていませんので、なんとも記憶も鮮明ではないのですが、とにかく、小さい子どもはおじいちゃん、おばあちゃんが面倒を見る。お父さんお母さんは仕事。ただ冷静に考えてみたら「残業」って誰もしなかった感じ。まあ当時は鉄飯碗の一番の時期でしたから。

―中国の記述のあるページより引用させていただきました。―
「鉄飯碗」とは…落としても割れない鉄の茶碗…
失業が無く、賃金は確保され、ポストも安泰…に全て甘んじていた。
更に当時よく聞かされた「鉄飯碗」と殆ど同意語の「大鍋飯」は共産主義国家
の大前提である、一人の失業者も出さない完全雇用政策である。
一つの釜の飯を、皆が分け合って食べる事を意味するこの言葉は、反面懸命に
仕事しようが、怠けていようが、得るものは一緒であり、これでは他人の仕事
の領域まで踏み込んで、現状を変えていこうという気の起こらないのは、むしろ人間として当然といえるだろう。
(http://chinachips.fc2web.com/repo/00212.html)

でも間違いなく、男女ともにきちんと職場があったのです。
特に私の仕事のパートナーとも言うべき、設計会社の総責任者は、ものすごくチャーミングな女性の設計士さんでした。
ちょうど検索をしたら記事がありました。

張錦秋代表:陝西で国家大遺跡保護モデル地区を設立
http://203.192.6.79/200903/aaa109100429_1.htm
 新華社北京3月8日発(記者 許祖華 趙超) 「政府工作報告」の中で、文
物と無形文化遺産の保護に関する内容は第11期全国人民代表大会第2回会議に
参加している全国人民代表大会の代表らの注目を引いた。全国人民代表大会の
代表、中国建築西北設計研究院の総建築士、中国工程院(工学アカデミー)の会
員である張錦秋氏は、「陝西大遺跡保護を国家の内需拡大に関する一括計画に盛
り込み、陝西で国家大遺跡保護モデル地区を設立するべきだ」と提案した。
 同氏によると、大遺跡は主に中国古代歴史の各発展段階での政治、宗教、軍
事、科学技術、工業、農業、建築、交通、水利等方面に関する歴史文化情報を
反映し、規模が大きく、価値が高く、影響が深遠な特徴を持っている大型集落、
都市遺跡、宮殿、古墳等遺跡、遺跡グループを含み、古代文明の結晶と歴史文
化の証明だ。
 陝西は中華文明の発祥地の一つと文物大省で、豊かな文物を誇っている。数
多くの文物資源のうち、大遺跡は最も重要な一環だ。陝西省の遺跡は数が多く、
分布が広く、面積が大きく、等級が高いといった特徴を持っている。陝西省は
数年間大遺跡の保護を文物事業での重点としてとらえている。各クラス政府及
び文物行政管理部門は大量の人力、物資と財力を投入したが、陝西省は経済が
未発達な地域で、財力が非常に困難な情況の下に、巨額の資本を投入したが、
大遺跡保護事業は依然として数多くの困難に直面している。
 張錦秋代表は、「陝西の大遺跡は中華民族の珍しい歴史文化遺産だ。陝西で国
家大遺跡保護モデル地区を建設し、大遺跡保護の範囲と制御可能な地域内で充
分に文物保護用地の需要を配慮するべきだ。土地の置き換え、調整と文物保護
プロジェクトの建設等方面でより大きな土地優遇策を与える。同時に国家も陝
西の大遺跡保護用特別資金を増加させるべきだ」と提案した。 (翻訳 劉英)

当時はこの中国建築西北設計研究院は、中国建築西北設計院と言っていて、そこの「高級建築師」と言うタイトルでした。日本の東京工業大学に匹敵するんだと思いますが、清華大学の卒業生でした。ほんとすごくステキな方でした。

この設計チームがまたすごかったですね。女性の設計士が合計3名、男性は2名+助手という感じだったような気がします。ちょっと記憶が曖昧ですが。
で、お子様たちは確かほとんどがアメリカ留学させていたはずです。しかも、MITとかUCLAとかだったはずです。西北地域の国営の設計事務所ということです。

というふうにだいぶ話が飛びましたが、男女の差がない仕事環境であることは間違いありません。

そうそう、それに一人っ子政策でこどもは一人しか原則は産めませんでしたからね。