ごめんなさい。私のメールは大変不愉快だというお言葉をちょうだいしました。以前も一度注意をされたのですが、「お前だけだ、そんなこと言うのは」って思い、その方にメールをお送りする時だけ、ご指摘の形をとっておりませんでした。

が、しかし、今般はきつ~く、しかも具体的にご指摘を賜りました。そして思い起こすと確かにそうだ、と。あ~、多くの皆様に不愉快な思いをさせてしまった、と。ここに慎んでお詫びを申し上げます。

さて、どういうことかを少しご説明しましょう。
私は、メールをいただきますと、疑問符などが付いていなくても、疑問形ととれる文だった場合、そこで引用返信の形をとります。全体を繰返し読んで、全体像をつかんで、返信ではないのです。もっと言うと、メールを読んで、噛み砕いた後に返信の操作をするのではないのです。最初から、メールの返信操作をして引用返信の状態にして読み始めます。返信動作をしてから読み始めるのです。

それで、部分部分で疑問形に読めるところは、その都度、段落を変えて、「そうですね、○○○で、○○でして○○だと思います。」などと書いちゃうのです。メールをくださった方は、軽い疑問形の体裁にして、肯定だったり同意を軽く求めるケースだったりなのです。それをいちいち止めてコメントするのが私の形。「挙足取りでしょう、あれって」って言われてハッとしたのです。
それからいろいろと思い起こすと、赤面することだらけ。あ~、本当に申し訳ございませんでした。深く深くお詫び申し上げます。

いいわけではありませんが、実は、議員という仕事は、人様のお話を聞くことが重要です。
富田富士也先生 は、最終的には「地方議員のためのカウンセリング入門」という本を出版するほど研究なさった方ですが、その先生とお話をする機会が何度もあり、「相談者の話を聴いてあげる」ことが重要だという話をよくしました。確かにお話を聴いて差し上げる時間を取るだけで、相談者が落ち着いてしまうケースがよくあり、それが体験的に身に付いている部分があります。

もちろん、話の内容によって、相づちをうったり、軽い反論をしたり、肯定をしたり、単語一つ一つに敏感に反応することが大切です。そして、問題を共有することが次の段階につながっていくケースが多いのです。まあ、そんなこんなを十年以上やっていると、ついつい事細かに単語に反応してしまう悲しい性が身に付いてしまっているのですね。それが「電子メールの返信」で同様のことをやってしまっているようです。

本来、紙の手紙の延長線上であるはずの電子メールを、相対の会話と同じ扱いをしてしまっているところに間違いがありました。捉え方の完全な間違いですね。深く反省をしています。

皆様、今後ともよろしくお願い申し上げます。