を書いていて思い出しました。平成13年に父の叙勲の記念に書いた冊子に、私も船橋の将来について書かせていただいたのですが、その内容を少々手直しして、リメイク版としてブログを始めようと思っていました。それから、もう2年近くが経過してしまいました。再々リメイク版みたいなものですが、根幹は平成13年から変わっておりません。ので、私のWebSiteにアップしてあったものをお読みいただいている方もいらっしゃるかもしれませんが、またお読みいただければ幸いです。

 

以下は、平成13年4月発行の私の文章としてお読みいただければ幸甚です。

******************************************************************************

 これからの船橋市を私なりに考えていることを披瀝し、皆さんと一緒に考えることができればいいなと思っていますが、現行法令に合致しないものもたくさんありますし、現実離れしているものもあります。でも、いまの日本は、常識や慣例、慣行あるいは法令によるさまざまな規制、お役人様独特の発想等によって一つの枠の中に納まりすぎて、身動きがとれなくなっていると思います。このまま人生の最後まで、船橋という街に関わっていくつもりでいる者として述べさせていただきます。笑っていただいて結構ですし、お怒りになる方もいらっしゃるかもしれません。でも、このまま街が疲弊して、歳をとっていき、弱っていくことだけは避けなければなりません。内科的治療と、外科的治療に加え、最新の薬物療法が必要かもしれない。現状を打破するためには、やはり痛みを伴うものになるのは仕方がないことでもあると思います。もちろん、その痛みを最小限にしていくのが政治のつとめだと思うのですが。

 

◆ 街を考える

 

 大学生の時、初めて船橋を離れました。というと大げさですが、船橋以外の街を成人の目でみる機会としては初めてでした。もちろん、小学校や中学校の遠足や修学旅行もありました。しかし、街をみるというのはやはり大学入学以降だと思います。

 国の内外を問わず、公私を問わずということになると、かなりの街を訪ねました。先進国の街、途上国の街、暑い街、寒い街etc。

 そして、市議会議員として仕事をさせていただいた8年間。そして衆議院議員選挙の落選、皆さんと同じような目線で、都内へラッシュの電車で会社へ通うこともしました。その結果、都内の品川区でまったく違った行政のあり方も見ました。それにより、街をじっくり考えたいという思いが大変強くなってきました。いままで、街づくりなんていわれてもピンときませんでした。

 仕事を通してさまざまなケースにぶつかりました。仕事を通してさまざまなことを考えさせられました。そして、出た結論は、「街づくりをじっくり考えないと何も始まらない」ということでした。

 

 会社員時代、ショッピングセンターやホテルという商業施設の開発に関わりました。「人がどう歩き、どういう行動をとるか」、もっと細かくすると、「お客様はどこから入って、どこへ行くか、何をするか。従業員はどこから入って、どこへ行くか。お客様との接点は、お客様と会わないようにするには。荷物はどこから入って、どこへ運ぶか。何を使って上下移動をするか。お客様に迷惑にならない荷物の移動は。荷物の置き場は、ゴミの置き場は。ゴミの処理は、ゴミの運搬は。非常時の避難通路は、非常時のための法令は」等々さまざまな観点から、小さな街を考えたのでした。

 

 いま、この船橋はどうでしょうか? 残念ながら、決して良い街づくりができているとは思えません。現時点での反省点は、街づくりのグランドデザインがない。行政が本気で街づくりに取り組んでいない、と書くと語弊がありますが、長期のスパンで都市計画、街づくりを真剣に考えているとは言えないのではと思います。これは、役人の限界なのか、それともトップにやる気がないのかということでしょう。船橋という街が生きるも死ぬもここから始まるのですから。

 

 熱病にうなされたように、福祉福祉と言う昨今ですが、高齢者福祉にのみのめり込んでいく風潮はいただけません。選挙対策? 自分の子育ての間違いから、子どもに面倒を見てもらえない?etc.etc.

 少々言い過ぎかもしれませんが、戦後のおかしな教育、団塊の世代の皆さんあたりからの価値観の変化、何に関しても耳年増の変な世の中になり、マスコミ主導の、真実がどこかへ行ってしまっている現実。

 残念です。

 

 この部分は議論を要するところですので、この辺にしておきますが。


                                                           続く・・・