<MSN産経ニュースより>


sankei

【公教育を問う】(1)教育委員会はいらない 変わらぬ無責任体制

2008.11.222:11

「現行の教育委員会は要らない」。市長時代に教委の「不要論」を掲げた人がいる。NPO(特定非営利活動)法人「地方自立政策研究所」の穂坂邦夫理事長だ。

穂坂氏は、平成13年から1期4年間、埼玉県志木市長を務め、在任中に「教委制度の必置規定廃止」特区を国に対して3度にわたって申請した。しかし、いずれも認められなかった。

市長当選時、穂坂氏が目の当たりにした教育行政の仕組みは「よくできた無責任体制」。同じ年に大阪府池田市で起きた児童殺傷事件が、もしここで…と考えたとき、責任を取って辞める人間が、校長以外に見当たらなかったという。

「教育委員会の委員長は『座長』、教育長は『事務長』で、どちらも責任者の立場ではない。市長は教育行政の独立の建前から責任者になれない。素人の合議制の教育委員会が、責任を負うことができるのか」

 

この部分は一般の市民の方々には、あまり理解されていないでしょうね。船橋なんかも、悪い言い方ですが「あて職」の色合いが強いですし、議会に人事案件が上がって来て「誰これ?」みたいな、教育委員会事務局運営に都合の良い人事があることは間違いありませんね。しかし、そこに問題が生じているかというと、Noですね。なぜならば「素人の合議制」だからです。

 

特区が認められたら-。穂坂氏の構想では、市長を総括責任者、教育長を責任者として明確化し、その下に20人程度の教育審議会をつくる。「教育への住民参加が、掛け声だけでなく本物になる」。教員採用も県ではなく市が行う。

教育委員会への不信がさらに高まったのは、北海道滝川市や福岡県筑前町などで相次いだいじめ自殺への対応がきっかけだ。

 

この穂坂氏の考え方は理解しますが、形を整えるのではなく、現行の組織運営上でも可能な話だと思いますね。意識の問題や市長の指導力の問題ではないかと思います。事実上の穂坂氏の運営形態はできるのではないでしょうか。

 

そもそも、問題が起きたときのことを想定しておっしゃっているようですが、少々違うような気がします。

 

実際には、最終的に市町村の教育行政の責任は首長が負うでしょうし、教育委員会事務局機能の責任は教育長が負うでしょうし、「素人の合議制」だけは確かに「専門家の協議体」にすればいいんでしょうね。って思いますけどね。それも確かに定員は増員し、審議会で良いのかもしれません。


いじめ自殺などを隠そうとする教育委員会の体質は変わっていない。いじめ問題に取り組むNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」(川崎市)の理事、小森美登里さんは、「子供たちの命を守る権限はどこにあるのか疑問だ」と話す。

小森さん自身、平成10年に当時、高校1年の長女、香澄さんをいじめによる自殺で亡くした。最近もいじめの被害者の親からの相談は学校での出来事を明らかにしようとしない学校や教委への不信がほとんどだという。

小森さんは「子供を亡くした親は、わが子に何があったか、事実と子供の痛みをせめて知りたい」という。だが同級生が書いた追悼文を学校が破棄した例もある。「学校や教育委員会はなかった状況をつくるために必死になっている。それでは再発防止の対策をたてられない。情報を共有し、子供たちの命を地域でしっかり守る体制をつくってほしい」と話す。

2年前、福岡県筑前町でいじめを苦に自殺した中学2年の森啓祐君の母、美加さんも「学校で何が起きたのか事実が分かることが子供たちを守る一つの方法だと思っている。遺族だけでなく、親は誰でも学校で何が起きているのか知りたいはず。学校側がどう対応したのかスムーズに分かるシステムをつくっていただきたい」と話す。

 

この隠蔽体質は全国共通みたいですね。これも組織上の問題と言えばそれまでですが、大学を出て様々な困難にぶち当たりながら、同じ職場で助け合って来た、同じ釜の飯を食ったとでも言うのでしょうか、妙な連帯感や強固な結びつきを感じることが多々ありますね。

 

事故が起きれば、相互扶助組織的にかばい合う。勢力が違うと、暴露し合う、非常に恐ろしい組織でもあるのではって思っております。まあ、政治の世界よりドロドロしていますよね。

 

そもそも雇用形態の違いで、身分も違う。そこに大きな問題があるでしょうね。私から言わせれば、「異常な雇用形態」ですね。

 

義務教育、教育費、雇用主体等々現行法令上はしかたないことですが、特に義務教育においては、この雇用形態と行政組織とが、見た目の形は整っていますが、実態は違いますものね。

 

それも、学校教員から教育委員会の職員になるときなど、今はどうか知りませんが、以前は、住宅資金の借り入れなどの手続きがめんどうだそうですねえ。一度、県職員を退職して、市職員になり、また学校現場へ戻るときは県職員に戻る。その事務作業だけでも膨大なものでしょうし、そのための事務ってなんだかなあ~なんて思いますね。

 

「教育委員会は最近、さまざまな批判を受けている…」。10月末、東京都内で行われた新任の教育委員を対象にした会合で、文部科学省の金森越哉初等中等教育局長は例年に比べ強い口調で委員のリーダーシップを求めた。

有識者らが就く教育委員は、本来、教育委員会事務局の仕事をチェックし、教育行政を主導しなければならないが、自治体によっては“お飾り”的存在だ。

続いて開かれた分科会では当惑する新人委員の声があふれた。「リーダーシップという話だが非常勤でどうやればいいのか」「仕事もある」「教育委員に選ばれたのは名誉だが、悩んでいる」…。

 

有識者にもいろいろありまして、さらには教育委員会事務局には、その人材発掘をする能力がないところが多いのではないでしょうか。

 

船橋市なんて59万都市なのに、おいおいおいって感じです。現在の教育委員がダメだというのではないのです。59万人の人口がいれば、教育委員候補は5人の定員では足らないくらいいるはずなのです。増員希望がどこからも出てこないし、積極的に教育に造詣が深い方の発掘をしている形跡もないし…。

 

まあ、これは教育委員に限ったことではなく、市の各種審議会等の委員選任もひどいものですからね。もう、ずさんというか、なんというか、許せない人選が多いですね。

同僚の中村実議員なんかカンカンですよね。

                 ◇

大分県の教員汚職事件や学力テストの成績公表問題など教委の体質や姿勢を問う問題が目立つが、いじめ問題でも批判された閉鎖性や無責任体質はなかなか変わらない。地域の教育を担う教育委員会について考える。

                 ◇

教育委員会 都道府県や市町村など地方自治体に置かれ、首長が議会の同意を得て任命した原則5人(条例で3人や6人以上も)の教育委員で構成する。教育委員長は委員の互選。具体の業務は委員の中から教育長が選ばれ、教委の指揮監督のもと事務局を統括して行う。事務局も加えた組織を教育委員会と呼ぶのが一般的。


 992


ま、教育委員会事務局には頑張っていただきたいものですね。