<MSN産経ニュースより>
【見つけた! みんなが輝く教育】「予防的視点」に立った指導を
2008.9.907:57 さらに先週の話を続けます。
3番目に、今、教育現場に必要なことは「問題が顕在化してから対応するという学級経営・学校経営の在り方」からの脱却だとお話ししました。そんなことは当たり前だと思われる方もいらっしゃるでしょう。ですが、いじめや不登校、学力不振や学力低下など現場が直面する課題を取材していますと、「予防的視点」に立った具体的な指導がなされていれば違った結果になったのでは、と思われるケースも少なくありません。
同感ですね~。とはいえ、「予防的視点」に立った具体的な指導を行うための時間的余裕がない感じもします。
たとえば、書字や読字が苦手な小学生がいるとき、「もう少し様子を見よう」と考えてはいないか、ということなのです。実際、筆者が訪れた数多くの学校で、字が年齢不相応なほど拙(つたな)い児童生徒がいます。学校は「LD(学習障害)かもしれないが、字を書くのが嫌いなだけなのかもしれない。もうちょっと様子を見ないと…」とおっしゃる。でも、その子はいつまで待てばいいのでしょう?
そうですね。その区切りをつけて判断する力がない。どのタイミングかということが考えられないようです。責任の所在?でしょうかね。思い切ってきちんと判断する。そういうタイミングに自信を持って判断できる環境がほしいですね。
「もう少し様子を見よう」は、「とりあえず目の前を見ないようにしよう」と同じなのですね。単なる先延ばし。問題の先送りです。判断をすることによって、場合によっては未知の世界に踏み込んでいかなければならないかもしれない。そういう意識が働くと、先送ってしまうでしょう。そうです。未知の世界の面倒なことをこれから毎日悩みながら進めて行くなら、「もうちょっと様子をみる」ということにして、ずるずる新学期を迎えることを心の中では期待し、担任をはずれることを願う。そこまでひどくはないかもしれません。しかし、先送り、は間違いありませんね。
以前取材した、ディスレクシア(読み書きのLD)の世界的権威、フィンランドのリッテネン博士は「子供の苦手さに一日でも早く気づき、エビデンス(科学的根拠)ベースの訓練をする必要がある。その子が学校で失敗するまで待つべきではない」と強調しています。同国ではディスレクシアの診断がつく前でも、音の理解や処理が少しでも苦手だとわかれば、子供の年齢にかかわらず、指導を開始しようとするそうです。
同様に、いじめや不登校の問題も、「起こってからどうするか」と考えるのでは、対応が後手に回るのは言うまでもありません。
そうなんだと思うのです。でもこの発想は、フィンランドの博士の説。日本では、ひょっとすると、OJTで、先送りが教員の世渡りだよって教わるかもしれない。
いじめが起こりにくいよう、子供同士の絆(きずな)を強化し、差異を認めあえるような学級・学校環境を戦略的につくる。一方、いじめの具体的な定義やルール違反をしたときの条件を決め、同時に「怒りのコントロール方法」など問題解決のスキルも指導しておく…。
予防的視点に立つことで教育現場は新たな指導・解決ツールを獲得できるのでは?
(教育ジャーナリスト 品川裕香)
まさにその通りです。しかし…。
どうなんでしょう。