いや~、安倍総理のときもそうだったのですが、モヤモヤとしていたのです。

 

日本の内閣総理大臣ですからその職責たるや想像もできないもので、その重圧もこれまたすごいものだとはわかるのです。毎日眠れず大変だというのは理解します。しかし、投げ出さざるを得ない状況とはいかなる状況なのかが理解しにくかったのです。

 

国際的な問題であることは感じておりました。国際関係と国益と世論とは思っておりましたが、ある意味誘導された、もっというとメディア誘導の世論がなんとも許しがたいもので、国民のメディアリテラシー能力があまりにも幼稚すぎることに無力感を感じたということは想像に難くありません。

 

MSN産経ニュースより>


sankei

【eye】福田首相の「客観」と無念 「あなたとは違うんです」発言の真意は

2008.9.607:55

「私は自分のことは客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」。そんな言葉を残して福田康夫首相は去ろうとしている。「あなたとは」の部分はいささか大人げなかったが、その真意が気になって仕方がない。首相は自身をどう分析したのか-。『ものぐさ精神分析』で知られる心理学者の岸田秀さんに読み解いてもらうと、日本の首相が背負う「宿命」が浮かび上がってきた。(桑原聡)

 

この宿命という部分でなるほどなあと思ったのです。

ただし、この宿命である、ということはわかっているはずなんですよね。国会議員を何期か務めて、安倍総理も福田総理も官房長官を務めてということになれば、「わかっているじゃないか、そんなこと」って森総理だったらお怒りになるだろうなあなんて思っています。とはいえ、実際それらの問題に直面し、結論を出す責任を負って初めて「あ~あ」って頭を抱えるんでしょうね。本当にご苦労なことです。

 

岸田さんが、精神分析の理論を援用して論じる日本近代史はきわめて魅力的だ。著書『二十世紀を精神分析する』にこんな趣旨の記述がある。

《日本は一八五三年にペリーに強姦され、その屈辱感を抑圧したために、強国アメリカに従うしかないとする外的自己と、本当は復讐(ふくしゅう)したいとする内的自己とに分裂し、一種の精神分裂病者になった》

ここでいう外的自己とは「外界と直接関係する領域」、内的自己は「外界との関係から不可侵の領域」という意味合いだ。両者の分裂による葛藤(かっとう)は近代日本の宿命だ、と岸田さんは言う。

 

きっと官僚の皆さんは日常業務の中でこの現実に何度も何度もぶち当たり悩み苦しみ、とはいえ、「上が判断すること」と開き直って上へ上がっていくのでしょう。安倍総理、福田総理以前の総理は、議員、閣僚、党役員の経験が豊富で、古い方々は官僚経験もあったりしますしね。覚悟もあり、さらには今回のようなねじれといわれるような現象もなく、総理の重責を果たされたのだと思います。細川総理はやはり早々と投げ出されましたしね~。

 

「日本は真珠湾攻撃で葛藤の解消を図ろうとしましたが、結果はご存じの通りです。戦後は『内的自己』を抑圧して『外的自己』によって対米関係を維持していく道を選びました。しかし『内的自己』は消滅したわけではありません。日本人の中にずっとうずき続け、ことあるごとに頭をもたげてくる」

歴代首相はこの宿命に翻弄(ほんろう)されてきたというのが岸田さんの分析だ。

 

なるほどですね~。

ここ以降の記述を読むと明快ですね。

 

「吉田茂首相の時代は敗戦のショックもあって国民に『対米従属も致し方なし』というあきらめがあった。だからワンマンとなりえ、名宰相とうたわれた。ところが復興とともに日本人の中に『内的自己』が頭をもたげ始める。岸信介首相は対米従属の象徴ともいうべき日米安全保障条約をめぐって国民的憎悪の対象となってしまった」

「外的自己」と「内的自己」の対立をもたらす相手はアメリカ一国にとどまらない。対中、対韓、対露外交が複雑化するにつれ、葛藤も錯綜(さくそう)する。

「葛藤が解消されていない以上、日本の首相は適当にごまかしながら職務を遂行する以外に道はない。非常に疲れると思います」と、岸田さんは首相の立場を思いやる。たとえ首相の決断が国益を考え抜いた末のものであっても、それが安易に「外的自己」を優先したように映れば、国民の不興を買う。

「国家という共同幻想を維持するためには国家としての誇りが必要です。その点、小泉さんはうまく立ち回ったと思います」

対米従属ともいえる姿勢を貫いた小泉純一郎首相が5年5カ月も政権を維持できたのは、靖国問題をめぐり中国に対して日本のプライドを強く主張することで「内的自己」を満足させたからだといえる。

 

ここの記述もなるほどなあ~ですよね。まさに「上手」だったよなあって思います。福田赳夫総理の時にそばで身近に見て、悔しいと思ったから、だからこそ、「上手に」やったのでしょうね。

 

対して福田首相は、対米従属路線は維持したうえで、中国との関係も重視、靖国参拝は見合わせ、毒ギョーザ問題も追及しなかった。国民の「内的自己」を満足させることはできず、支持率が低迷したのは当然のことだったのかもしれない。

「福田首相は国益を考えながら現実的な路線を取ろうとした実務型の首相だと思います。しかし衆参ねじれ国会という状況の中で身動きが取れなくなり、メディアにも国民にも真意が理解されなかった。辞任会見での発言は、その無念さが吹き出したものと見るべきでしょう。不平士族に暗殺された実務型の政治家、大久保利通の心情に通じるように感じられます。次に誰が首相になろうと、『外的自己』と『内的自己』の葛藤という宿命に翻弄されることは間違いありません」

葛藤を解消する道はあるのだろうか。

 

もう大納得ですね。

 

「一番簡単なのはアメリカと戦争をして勝つことです(笑)。しかしそれはあまりに非現実的。今の日本には、アメリカの衰退を待つことしか道がないように思えます」

 

ははは、その通り。