<MSN産経ニュースより>


sankei

【見つけた! みんなが輝く教育】「配慮」が生む現場の疲弊

2008.8.2608:18

前回、教育現場を取材していて一番痛感するのは「通常教育か、障害児教育か」という二項対立的教育観から脱却しなければならないことだとお話ししました。

簡単に背景を説明します。

中央教育審議会は平成17年12月に出した答申の中で、特別支援教育の理念と基本的な考え方として「51-障害に関する医学的診断の確定にこだわらず、常に教育的ニーズを把握しそれに対応した指導等を行う必要がある」とし、「こうした考え方が学校全体に浸透することにより、障害の有無にかかわらず、36-当該学校における幼児児童生徒の確かな学力の向上や豊かな心の育成にも資する」(傍線筆者)と続けています。これが18年12月の学校教育法改正に生かされ、19年度から特別支援教育がスタートすることになります。

ところが、同法が目指すところを従来通りの「障害があれば障害児教育、障害がないなら通常教育」という発想のまま行おうとすると、現場は必ず壁にぶち当たります。

 

そりゃあそうですね。

 

なぜなら「配慮を要する子がクラスにいるから」、教材は何パターンも用意しなければならない、声かけなど一手間余計に指示する必要がある、多弁多動も障害特性だからそのまま認める等々教師の負担は無尽蔵に増え疲弊していく一方だからです。

 

そうなりますよね。

 

漢字の読み書きが苦手な子がいるならば、プリント・テスト・板書などの漢字すべてにルビを振る。アルファベットを覚えられない子がいるなら、視覚型だけでなく聴覚型・運動型の学び方を導入する。動き回りたくなる子がいることを前提にしたルールを作る(たとえば動き回りたくなったら3分だけ決まった場所に移動してもいいが、指定された場所以外への移動は認めない、ほかの場所に移動したときのペナルティーを決め公平公正に運用する)。

こんな指導上の工夫を「障害のある子」だけに行うと、子供たちの間に不公平感が生まれ、いじめや不登校につながりやすく、かえって学級経営は難しくなります。(教育ジャーナリスト 品川裕香)

 

それをどうするか。私は分離すべきだと思います。絶対に無理がある。はずです。このシリーズで感じているのは、弱い方に合わせることによって、全体が弱くなることは、やはり避けるべきだと思うのです。


今回の冒頭の方にもある中教審の17年12月答申のように万人受けする作文を書き、大々的に公表し、多数派である、義務教育保護者以外の人々の共感は得るでしょう。しかし、学校現場を預かる先生方、今、現に小学校、中学校に子どもが通っている保護者は、もっともっと切実なはずです。

なんとかしたいものですね。