<MSN産経ニュースより>


sankei

【見つけた! みんなが輝く教育】アスペルガー症候群の息子が学んだもの

2008.5.2707:52 

取材をしていて強く感じることの一つに、「発達障害の勉強をたくさんしたからといって、子供や当事者たちが何をどういうふうに困っているのか、形式的にではなく実質的に理解できるとは限らない」ということがあります。

 

この意味するところよ~くわかるような気がします。とにかく杓子定規に定型パターンで物事を捉えてはいけないことと、判断もいけないということだと思います。

 

たとえば「アスペルガー症候群は人の気持ちや表情がわからないコミュニケーション障害のこと」とか、「友達をつくれないのが障害特性だから、友達をつくるよう努力するより、理解者をつくってあげるといい」とおっしゃる方がいます。ですが、子供たちの話を聞いていると、それってどうよ、と思わざるを得ない場面に遭遇するのです。彼らが困っているのは本当にそういう部分なのか、と。

アスペルガー症候群と診断されているカズヤの母親は、特別支援学校の現役教師です。幼稚園入学時に「カズヤは他の子供とはちょっと違う」と気がつき、早くから発達的な視点に基づいた指導を行ってきました。その母親がある日、絶望した様子で筆者に連絡してきたのです。

「いくら丁寧に指導してもアスペルガー症候群の子には人の感情はわからない!」

理由を聞いたところ、母親代わりにカズヤを7歳から育てた祖母が亡くなった。でも、カズヤは涙ひとつこぼさず無表情のまま。あれだけ苦労して、丁寧に専門的な指導を徹底して実践したのに、息子は何も学んでいなかった、と。

本当にそうなんだろうか? カズヤ本人の希望があり、彼の話を聞きました。

「だってお母さんは40歳で僕は11歳でしょ。しかも、おばあちゃんが僕の面倒をみてくれるようになったのは小学校に行くようになってからだから、僕がおばあちゃんと関わったのは11引く7で4年。つまり、僕はお母さんの10分の1しか泣いちゃいけないんでしょ? それに男は泣いたらいけないと言われたから」

その後は涙でぐしょぐしょになり言葉になりません。聞くと、毎日悲しくて、布団をかぶって一人で泣いていたと言います。続きは次週。

(教育ジャーナリスト 品川裕香)

 

でしょう。このお母さんは、悲しみの表現は一つだと思っているところに間違いがありましたね。自分の教育を信じていたら、きちんと成長していることを信じないと。カズヤが言っている計算式はある意味正確であり、合理的理由になっていますよね。むしろ教師のお母さんより立派かもしれません。いや、かもではなく間違いなく立派に成長していますよね。って思うんです。百人百様、千差万別なんですよね。