<MSN産経ニュースより>
【見つけた! みんなが輝く教育】特別支援教育、無理解は日本だけ?
今、無理解と決め付けてしまうのはしんどいでしょう。理解するための努力はきちんとされてきていますから。船橋市でも頑張っているようです。ただ、当事者及びその家族の望む速度と、行政の対応速度に温度差はあるのだろうと思います。
2008.4.2911:35
「『通常学級内にいる発達障害のある子供を指導する』『特別支援教育はすべての学校で実践する』と文部科学省はいうが、金も人も付けないから現場は混乱する一方だ」
まさに、これですね。お金をつけるための人材が育っていないというのが現状ではないでしょうかねえ。お金はつけるつもりになれば簡単だと思うのです。しかし、何にお金をつければ良いのかの絶対的な自信を持っての判断ができないのでしょうね。たぶん。
「“特別な支援”の必要な子が一人いるだけで、クラスは大変。通暁学級の担任は障害児教育のプロではない。一緒に指導するのは負担が大きい」
「診断されているのに学校は何もしてくれない」
いやいや、学校はなんとかしたいと思っているのでしょう。しかし、そのカウンターパートがまだ深い認識がなかったり、クリアしていく問題点が多いのだと思います。
気持ちばかりあせっちゃいますよね。
各地を取材していると、教育者、行政担当者、ウチの子には関係ないと思っている保護者、子供が発達障害と診断されたという保護者から、そんな声をよく聞きます。
LD(学習障害)やADHD(注意欠陥・多動性障害)、アスペルガー症候群は最近、急に発見されたり認識されたりした障害ではありません。連載初回に状態像をいくつかご紹介しましたが、診断を受けていないだけで、似たような課題を抱える大人はたくさんいます。
本人たちにしてみれば、社会生活を送っていく上で自分にはどういう苦手さや困難さがあるのか、それはどうやって克服すればいいのか、あるいはどういうふうに学べば一番効果的なのかわからない。やみくもに頑張るだけです。
研究途上、発展途上にあるんですよね。でも、できるだけスピードアップを図るべきですよね~。解明が進んでいるのも事実。しかし、中途半端状態というと語弊がありますが、行政が一番手をつけにくい状況のような気がします。
なんとかならないものですかねえ~。
これまでは教育する側も同じでした。だから、当事者たちの努力がなんとか形になっても、「できて当たり前」。形にならなければ、「怠けている子」「人間関係の結べない変わった子」「行動上問題のある子」などという理解しかできなかったのです。
これを変えていこうというのが特別支援教育なのですが、まだまだ冒頭のような意識の方が少なくない。
でも、こういった無理解は日本人の特徴? いいえ、そんなこともないのです。
今月13日から16日まで、カナダのカルガリー市郊外で「ディスレクシア(読み書きのLD)世界会議2008」が開かれました。そこでのテーマも、「なぜ科学的根拠に基づいた適切な指導が広まらないか」「早期介入・早期予防がなされないか」でした。詳しくは来週に。(教育ジャーナリスト 品川裕香)
