<MSN産経ニュースより>


sankei

【見つけた! みんなが輝く教育】環境因子整え「障害」防ぐ

2008.4.808:10 

ヴァージングループ創設者のリチャード・ブランソン氏ら著名人の中にLD(学習障害)やADHD(注意欠陥・多動性障害)、アスペルガー症候群などを持っている人は多数いて、彼らが成功できたのは「環境因子」によると先週、お話ししました。

「環境因子」とは2001年5月にWHO(世界保健機関)が出した障害の定義「ICFモデル」の中に登場する概念です。ICFモデルによれば、障害とは「心身機能・身体構造の機能不全がある」ことだけではなく、「個人の活動が制限されたり、社会への参加が制約されたりする」こととも密接に関係します。

WHOは、「制限」や「制約」の多くは「環境因子」にあると位置づけ、たとえば教育や労働の制度、政策を変えたり、家族や友人が理解したり支援したり、社会的なサービスを向上させたりすることで変わるとしています。

事実、ブランソン氏は自分がディスレクシア(読み書きのLD)だと分かったのは10代後半のときで、それまで周囲の人やIT機器などに助けられてきたと語っています。

日本でも、文部科学省が平成11年度に出した養護学校などの学習指導要領の解説には、障害は機能不全などに基づいてもたらされた日常生活や学習上の種々の困難であり、教育によって改善・克服することが期待されるものであるという趣旨の一文があります。

 

私はここの部分が、拡大解釈されつつあり、それがイヤな方向に行くことを懸念しております。文部科学省が言っているのは、ADHDやLDと軽度の身体障害の子どもたちなど、その度合いに応じたものであって、障害の1から100までを言っているのではないということです。表現がうまくできませんが、専門家の判断、判定に委ねるものであると考えます。

 

例えば、私は上記で「軽度の身体障害」と表現しました。何をもって軽度の身体障害というんだということになります。そこを言いたいのです。軽度か中度か重度かは、複数の専門家集団に最終判断を委ねてほしいのです。正直申し上げて、改善・克服がまったく期待できないケースもあるのです。それも医学的にも教育的にも明確なものが。

 

もちろん子どもの力というのは未知数なのです。未知数だからそれに期待することもあるのですが、それらに、あるいはそういう次元での話に、完全健常者を巻き込んでもらっては困るということを言いたいのです。ここでもあるように養護学校などの学習指導要領です。今は特別支援学校、学級などといいますが、ネーミングを変えただけでは意味がなく、本質にこだわらない方々が多すぎるような気がします。

 

本当にうまく表現できず恐縮ですが、多種多様な教育ニーズが生まれつつある中、公教育が担っていかなければならないことはたくさんあります。教育行政に携わる方々に対するニーズも多種多様。大変な時代になりました。

 

さて、学校は子供たちにとってICFモデルでいう「活動の場」であり「社会参加の場」。要するに学校という「環境因子」を整える、すなわち学校・学級運営を見直し、指導法を工夫されることで、個人活動や社会参加が制限されなければ、LDやADHDなどの傾向があっても障害にはならないのです。しかも、これには副産物がありました。発達課題のある子供のために学校や学級という環境を整えることが、実はすべての子供たちにとって安心で安全で学びやすい環境をつくることにつながったのです。(教育ジャーナリスト 品川裕香)

 

そうそう。それは間違いないと思います。そういう意味では普通学級の先生方も、どうも、生活習慣的に繰り返すなと思ったら、叱るばかりではなく、その傾向がないかチェックに入り、検証することや、「環境因子」を整えてあげて、学級崩壊を防ぐべきですね。

言葉足らずで本当に情けないのですが、ものすごく重要で喫緊の課題であると思うのです。