<MSN産経ニュースより>
【見つけた! みんなが輝く教育】「彼ら」は特別な人ではない
2008.4.108:47
先週に引き続き、またしても質問です。次の人たちに共通することは何でしょう?
ヴァージンアトランティック航空やヴァージンレコードなどヴァージングループをつくったリチャード・ブランソン氏。パソコンメーカーのヒューレット・パッカードを創業したウィリアム・ヒューレット氏。東京や大阪など都市部には必ずあるビジネス・ステーション「Kinko’S」をつくったCEOのポール・オルファレア氏。ハリウッド俳優のトム・クルーズ氏やウーピー・ゴールドバーグ氏。アメリカ文学を代表する作家のジョン・アーヴィング氏。
さて、分かりますか?
彼らは全員、LD(学習障害)やADHD(注意欠陥・多動性障害)として知られている人たち。ほかにも政治家や芸術家、ノーベル賞学者、五輪選手ら列挙したらきりがないくらい、自己実現し社会貢献もしている発達障害を持つ人たちがたくさんいます。
発達障害や特別支援教育について考えるとき、多くの人が、この「障害」という言葉に引きずられすぎているんじゃないか…。各地の教育現場や子供たちを取材する私は、よくそんなことを考えます。
私もそう思います。日本語ってものすごくうまくできている部分があって、その単語を表す漢字で全体像を想像しやすく誘導する機能を備えている部分があります。従って、その状況を表すときに、安易にあるいはその業界や学会では当たり前のように使われている規則性に基いてのネーミングが、時として一般社会に出たときに、おかしな状況が生まれます。
最近のわかりやすい事例としては、後期高齢者医療制度の「後期高齢者」なんてその典型かもしれません。私が議員に初当選した平成7年頃には、少なくともこの言葉は存在していました。議会の一般質問のときに引用したことがありますから。
というように、たしかに「障害」と医学界や教育界でそう呼ぶとしても、社会通念上と言うか一般的にイメージする「障害」とは、ここに書かれている趣旨からも鑑みますと、ちょっと違うな。という気がします。
そこで、講演時に前述したような著名人の名を挙げ、彼らにもLDやADHDがあることを紹介します。すると、多くの方が驚き、少し考えたあと、一様に「でも、この人たちは特別でしょ」と言います。
実際、彼らは特別なのか。結論から言うと、私はそうは考えません。
私も、つたない知識からしても、彼が特別であると考えず、逆に、私もそうかも、彼もそうかも、あの人もそうかも。って思うのです。
「子供時代は勉強ができなくて、叱られてばかりだった」「どうしてみんなと同じようにできないのか分からず、みじめだった」
彼らはそういった内容の発言を繰り返しています。
にも関わらず、みんな成功した。なぜか? ヒントはWHO(世界保健機関)が2001年に出した新しい障害観「ICFモデル」にある「環境因子」にあります。そして、特別支援教育のカギを握るのも「環境因子」という視点なのです。(教育ジャーナリスト品川裕香)
下線部は初めて触れることです。次が楽しみです。