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【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩 授業妨害を許すな

2008.6.4 08:26 五木寛之氏の小説『青春の門』筑豊編の舞台として知られる福岡県田川郡内のある町立中学校で、生徒のたび重なる授業妨害により校長、教頭が休職や自宅療養に追い込まれ、一時期は管理職が不在となる事件が起きた。一部生徒の暴力に学校が振り回される事態を招いた原因はどこにあるのだろうか。

 

深刻ですよね。ここだけの話ではないと思います。

 

毎日新聞、西日本新聞などの報道によると、この中学では、2、3年の男子生徒8人が、職員室を集団でうろついて教師を威嚇したり、試験中にラジカセを大音響で鳴らすなど悪質な授業妨害を続けていた。問題行動に手を焼いた学校は、8人を美術準備室に隔離して「個別指導」を行った。

しかし生徒たちは、テレビゲームや電熱器を準備室に持ち込み、飲食・喫煙のやり放題で、無法ぶりは一向に収まる気配がなかった。対応に疲れ果てた教師は、昨日は6人、今日は7人と休みがちとなり、年度途中の平成20年3月には校長が交代するに至った。

校舎も荒れ果てて、土足で踏まれた体育館の床は自転車のタイヤの跡だらけ、トイレは汚れ放題だった。見かねた保護者が学校の清掃を始めたのは今年の1月のことである。問題の生徒たちは「関係ない奴は来るな」と掃除をする保護者に向かってつばを吐き、あげくは2階の渡り廊下から放尿する始末だった。

3月14日の卒業式では、金髪にサングラスの生徒が取材の報道陣に「お前らは映すな」と詰め寄り、リポーターのマイクを奪ったりした。その一部始終は地元のテレビで放映されたが、保護者の言葉を借りれば、「それはそれは、ひどい様子だった」という。卒業式直後、生徒2人が暴力行為等処罰法違反容疑で逮捕された。

 

警察に入ってもらうタイミング。それを躊躇し、「教育的配慮」をするがために、手遅れになる。手遅れは、当該生徒も、教員も、そして学校全体の生徒も皆が不幸になるだけ。

 

この事件について3月24日の毎日新聞社説は「問題の抱え込みは自壊を招く」との見出しで、「問題を表に出したがらない教育現場の消極的な体質がまたも露呈した」と論じている。問題が表面化してからの推移についてはこの指摘の通りだと思う。しかし、異常事態を許した原因はもっと深い所に潜んでいるのではないだろうか。

 

まさに、この部分につきると思います。

 

なぜ学校はこれほどまでに無力で、問題行動に歯止めを掛けられないのか。それは生徒の暴走を許した背景に、子供への迎合を重ねた60年に及ぶ「行き過ぎた子供中心主義」の思想があるからだ。この事件を評して「一連の行動は愛情を求める子供たちの心の叫び」などと、問題生徒の肩を持つ識者の発言を知るにつけ、今更ながらに戦後教育の抜きがたい混迷の深さを知る思いがする。

 

まさに真なりという感じですね。

 

学校教育の緊急課題は何よりもまず、子供たちが安心して学べる規律ある教育環境を確保することにある。一般社会で許されないことは学校でも許されないのだ。ダメなものはダメと言い切れるかどうか、いま、大人が試されている。そして、30年、40年前までは誰もが疑うことのなかった「学校は勉強する所」という素朴な社会常識を取り戻すことが急務である。

 

問題行動をおこさない生徒にも、最大限の配慮がなされなければいけないのに、いびつな形になっているところもあるのではと思います。