私が大学を卒業して、株式会社船橋ヘルスセンター(現在のららぽーとマネジメント株式会社)に入社したのが昭和59年だったと思います。当時の大先輩の方にお借りして読んだのがこの本でした。できれば、後輩の諸君や、船橋市の関係者の皆様に歴史の一端を知っていただきたいという思いから、ここに残させていただくことにします。

 

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丹澤善利自伝より

 

 交通の便

 

福島 駐車場をみると、近県から来た遊覧バスや、自家用車でいっぱいでしたが、あの駐車場には何台くらい駐車できますか。

 

丹沢 駐車場は三カ所ありますから、バスその他で千台近くは楽に駐車できます。

 

篠原 ここへ来る一般の交通の便はどうなっていますか。

 

丹沢 それはたいへん便利でして、国電では秋葉原から三十分(七○円)で船橋駅へ着きます。そのほか京成電車はもちろん、都心から定期バスの便もあります。これは新橋駅から成田行が(百五十円)出ていますが、これがセンターで停まります。

 また船橋駅からは京成バスのセンター行(十円)が常時十五台、市川駅からも五台常に運転しております。

 有料道路は、小松川から十分といった道程ですから、こうした交通上の利便も、センターの大いなる利点だと喜んでおります。

 

 出入商人と従業員

 

小林 出入商人というか、取引先というか、そういう方面の数もたいへんでしょうね。

 

丹沢 品物は大体、地元調達を原則として、地元にないものだけは他から買っています。ともかく、品物を納めて下さる商人が、親和会という団体を作っていますが、これが約百五十店ありまして、親和会の専属金融機関までできています。そのほか工事とか営繕とかで常時出入の人が約八十人、それにさっきは申しおくれましたが、売店の中には委託売店もありまして、これが約五十人くらいおりますから、ヘルス・センターで商売している人は、直接の関係者だけで約三百人近い人が出入している勘定です。

 

福島 それじゃあ、支払いの方もたいへんでしょう。

 

丹沢 そうですねえ、繁閑によって多少の相違はありますが、大体のところ、月にして六千万から、九千万円くらいですが、どんな月でも、六千万円以下ということはいちどもありませんでした。それも何か工事でもはじまると、それは一億にも二億にもなりますが、そういう出費は別にして、営膳の関係だけでもバカになりません。何しろ一万坪以上の建物ですから―。

 

篠原 従業員の方はどうですか。

 

丹沢 従業員は今日現在で、八百三十八人ですが、そのうち男子は二百五十人くらいで、あとは全部女子なんです。そのほか忙しいときは、アルバイトを一日平均四十人くらい使いますし、委託売店の従業員をいれますと、なんだかんだで、千人以上の人が働いてくれます。

 

藤原 かりに千人いても、これだけ広いと掃除だけでもたいへんでしょう。

 

丹沢 そうなんです。何しろ日本人は紙屑製造が得意なのと、人間が裸になるということは、地位や身分から開放されるせいですか、お客さんと掃除係は、毎日シーソーゲームをやっています。

 

小林 ここでは全部ハダシのようですが。

 

丹沢 そうです。みなさんが入湯なさるでしょう、その場合、もし上履きとか、いろんな履き物をおはきになっていたら、どうしても濡れ足で、履き物が濡れる心配もありますし、脱いだり、はいたりするのが厄介です、それに建物は大きくても一家の中のつもりですから、はじめから上履きは出しません。そのかわり、掃除だけは隅から隅まで、なめたようにきれいにするよう努めています。

 

小林 何かで読んだのか、ああそうそう、埼玉銀行の人の話だったが、二十億の会社の社長さんが、自から紙屑拾いをしている、それはセンターの丹沢さんのことだといっていましたよ。

 

丹沢 汗顔のいたりですなあ。実はこれは私の主義なんです。大きな世帯に、係りの人がおいてあると、その仕事は、その係りの者だけがやればよい、あとの者は知らぬ顔をして、自分の仕事さえしておればそれでよいという、極端な分掌主義というか、繩張りというかでは、心のこもった、有機的な仕事はできません。ですから紙屑が落ちていたら、見つけしだい誰でも拾う、お客さんに呼ばれたら、誰の係りでも構わない、ハイと答えて御用を承わる。故障をみつけたら、すぐ係りの者に連絡するというように、わがものと思えば軽し傘の雪で、無我と奉仕とまごころに徹しなければ、こういう企業ではつとまりません。

 ですから私は、人に示すためとか、お説教をするためにやっているのではありません、自分の信念でやっているのです。

 人は時代遅れというかもしれませんが、私はよいことは、千年前のことでも、よいことはよいと思っています。またよいと思って見ならう人が一人でもふえたら、それだけ世の中がよくなるわけですからねえ。

 

福島 いや、その信念がなければ、こうした間口の広い事業は統括できませんねえ。

 

丹沢 いや、ありがとうございます。どうかこの上ともに、ご指導とご鞭鐘を願います。ほんとうに今日は、ありがとうございました。

 

著者の略歴(昭和38年7月20日本著作発行時)

丹澤善利

明治24年2月生まれ

生盛株式会社取締役会長

日東鋳工株式会社取締役会長

千葉日報株式会社取締役会長

朝日土地興業株式会社取締役社長

三英土地株式会社代表取締役

三協製紙株式会社代表取締役

武州商事株式会社取締役

三協鋳造株式会社取締役

京葉瓦斯株式会社取締役

富士倉庫運輸株式会社取締役

その他

 

著書 温泉と私

評論他多数あり