私が大学を卒業して、株式会社船橋ヘルスセンター(現在のららぽーとマネジメント株式会社)に入社したのが昭和59年だったと思います。当時の大先輩の方にお借りして読んだのがこの本でした。できれば、後輩の諸君や、船橋市の関係者の皆様に歴史の一端を知っていただきたいという思いから、ここに残させていただくことにします。

 

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丹澤善利自伝より

 

  大倉御殿 長 安 殿

 

篠原 昨夜お世話になった長安殿ですが、あれは昔、向島にあった、大倉喜八郎さんの別邸を、移築されたんだそうですね。僕らも学生時代に、隅田川のポートの上から、よく眺めたものですが、けさは早く起きて、福島君と二人で、もういちど見て来たところです。

 

福島 いや、全くすばらしい。僕らも墨堤のはるか彼方から、眺望したことはあったが、中へ入って、親しく見たのはこんどが初めて。実にたいしたものですね。

 建物としては、近世の国宝級ですよ、あれは―。什器や庭石も、みんなもとのままですか―。

 

丹沢 そうです。大体、庭石や造園手法は、原型を忠実に移しましたが、元の別邸の建物が、明治の初期に建てられた、百五十余坪の平家建てと、明治四十三年に建てた八十二坪の二階建ての、“御殿”の二通りでありましたが、平家建ての方は老朽化して、移築に堪えなかったものですから、建具その他の什器は残して、建家だけは残念でしたが見捨ててしまいました。従って庭造りの方も、その分だけは切り捨てて、御殿に付帯した分だけは、一木一石にも心して、できるだけ忠実に移し植えたつもりです。

 そして絵画、彫刻、什器などは、いずれも国宝級のものばかりですから、御殿のものは、元のまま御殿に備えつけてありますが、その他のものは、これを納めるために、新たに“中国館”と、二百坪ほどの日本座敷を建てて、ここへ鎮座させてあります。

 

小林 昨晩きいたんですが、あの御殿は、釘というものが一本も使っていない。全部組立式というか、ハメ込み式というのか、ともかく釘なしでも、家が建つんですかねえ。

 

丹沢 そうなんです。あれで明治四十二年以来、どんな台風にも、地震にも、びくともしなかったのですから、たいした職人の腕前ですよ。さっきも福島さんがいわれたように、私もこれを明治期の国宝建築だと思って、非常な犠牲を払って引き取ったのです。

 

篠原 建物もすばらしいが、中味もたいした珍什ぞろいだ。谷文晃の「八方にらみの龍」とか、酒井抱一の「竹の図」とか、探幽の「白鷹」、二階にある抱一の「塗り戸」、日本に三つしかないという光琳の「絵襖」など、話にはきいていたが、実際に見たのは今日が初めてで、全く目をそばだてたということはこのことだ。

 

福島 僕もそうだ。日光には左甚五郎のちいちゃな眠り猫があるが、長安殿には甚五郎の大きな「牡丹に唐獅子」が床軸のハメ込みになっているのを見て、ちょいと変な気がしたよ。甚五郎も喜八郎の金力の前には弱いなあと。

 

小林 そうじゃないよ、昔から獅子は、猫よりも強いにきまってる。

 

福島 僕は中国館の什器を見て、何だか北京へでも、行ったような気になった。あれは何ですか、全部、張作霖が使っていたものですか。

 

丹沢 それはよく知りませんが、張作霖が、大倉さんの古稀の祝いに、はるばる贈って来たんだそうです。あの紅い寿の字の額に、ちゃんとそのことが書いてあります。

 その中で、長寿の椅子というのがあったでしょう。あれは千年も前のもので、この椅子を用いると、不老長寿を得るといわれていたのだそうです。

 

福島 それでわかった、大倉さんのご盛んだったのは、この椅子のせいだということが。

 

篠原 そうじゃない、食いもののせいだろう、フカのひれとか、ウズラの卵とか、精のつく食いもののせいだろう。

 

福島 それ、それ、長安殿の中華料理もたいへん結構でしたが、厨夫は中国人ですか。

 

丹沢 そうです。あちらの人ばかりです。それに材料も、老酒も、すべて中華料理の特色となるものは、みんなあちらの輸入品ばかりですから、経営面では、たいへんコスト高になりますが、そうしないと、コックが承知しないのです。