私が大学を卒業して、株式会社船橋ヘルスセンター(現在のららぽーとマネジメント株式会社)に入社したのが昭和59年だったと思います。当時の大先輩の方にお借りして読んだのがこの本でした。できれば、後輩の諸君や、船橋市の関係者の皆様に歴史の一端を知っていただきたいという思いから、ここに残させていただくことにします。

 

*************************************************************************************


丹澤善利自伝より

 

 埋立ては私の執念

 

織田 普通の埋立て会社の場合は、単に埋立て工事の工賃稼ぎだというわけなんでしょう。

 

丹沢 そうです。しかし、朝日土地が埋立てた時は、市の委託でやりましたが、ただ、土木事業をやるだけでなく、いまのへルス・センターのように、その埋立てた土地をいかに活用し、経営するかということを、国や県、または市の要望に応えて、そこまでやるということなんです。

 

織田 これからの埋立ては、法規的にやかましくなるんでしょう。

 

丹沢 その点、いろいろ考えられていましょうが、埋立て可能の東京湾の沿岸、ことにすでに計画の出来ているところは、なるべく早くやらねばなりません。しかしこれは公共事業の一つで、一会社が儲けをろう断するというような、自分勝手なことは許されません。

 あるいは、県営とするか、市営とするか、今までの五十万坪は、市営の形で、資金も仕事も全部、私の方で持ち、一種の下請けの形でやり、それだけの犠牲の対象物として、土地の所有権を認められました。しかし、あくまで公共性を考え、市や県の要請により、五十万坪のうち、十六万坪を、その目的に提供したのですから、国が直接にやったより、目的は達せられたわけです。今後もそういう精神で、国と一心同体となり、資金と知恵を傾け、仕事の上で、ご奉公しようと思います。

 その点で、株主も四年間無配当を、辛棒してくれました。ですから、官営と同等の目的で、しかもじょうずに出来上がるわけなのです。

 たとえば、さっきの船橋の歌にも“干潟一里は街の庭”とありますが、埋立てられるところは、二里もあると思う。一方、江東地区を見ると、地盤沈下もあるが、河川の底が人家の屋根ぐらいという、寒心すべき状態です。早く浦安から千葉までは、干潟を埋立て、活用すべきだと思います。

 東京都の人口集中を防ぐために、富士の裾野に中小都市をつくって分散する、十年計画というようなものも、結構でしょうが、もっと、手近かにある埋立てを、お上の力でも民間の力でも、とにかく一番熱心で、力のある者に、早くやらせることが肝要ですよ。

 

織田 その通りだと思います。ところで五十万坪の埋立てには、十六万坪も、公共用地として提供されたとすれば、儲けはたくさんないわけですが、朝日土地会社は、株価が六倍にもなっているし、随分含み資産も多いようですが、その利益はどうして出来たものですか。

 

丹沢 正直のところ埋立て事業では、そんなに儲からない。ヘルス・センターも社会政策的にやっているから利益は少ない。しかし、ヘルス・センターは、日本に未だかつてない規模のものを、精神面と、合理化を適当に配して、理詰めの収益を上げており、埋立ての方も、分割譲渡した土地の代わりに、山手の民有地を買って、利殖を計ったから、含み資産は相当のものとなっているのです。そのうちでも、第一回の十一万坪は三千円くらいで出来ましたから、現在五万円とすれば莫大な値上がりです。つまるところ、これは時勢のおかげであって、会社が利益をろう断したのでは決してありません。とにかく、埋立ては私の執念です。寝ても起きても、埋立てのことを考えている。よく、ヘルス・センターで丹沢が、奇形の黄色い帽子をかぶり、腰に手拭をぶら下げて、ゴミを拾ったり、お客さんの荷物を持ったりして、小使いみたいなことをやっているが、その丹沢が、何百万坪の埋立ての主唱者であることが不思議だといわれる。しかし、これは決して私の思いつきでなく、埋立て事業で、国土をひろげたいという念願から、年がら年中そればかりを考えております。